2000.09.24より


カノンの潮風日記



カノンのホームページへようこそ
ここは 本好きのしろうとヴァイオリン弾きのページです。
本のこと、音楽のこと、美術のこと
自分の好きなものたちを少しずつ集めてみました。
2000.09.23より




目次

自己紹介  
潮風日記  こんな毎日です
掲示板  いろいろな話題を
  お待ちしています
本の小部屋  本の感想
   作家目次
   書名目次
五線譜の隙間から  カノンの音楽活動です  次の演奏会の予定は
2008年02月10日(日)
ザ・シンフォニカ第43回定期演奏会
ヴェルディ 「運命の力」序曲
レスピーギ 「ローマの祭」
ブラームス  交響曲第3番

○三石精一指揮 ○すみだトリフォニーホール
fiddleの多読の部屋  英語多読修行中
私のお気に入り  あれやこれや
リンク集




潮風日記   2000.08.23〜

古い日記 2000 08 09 10 11 12
2001 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2002 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2003 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2004 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2005 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2006 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2007 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2008 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12


03月30日(日)
 きのうと打って変わって肌寒いが、中目黒に出てみると花見客で大賑わいで、目黒川沿いに飲食店もここぞとばかりに店先に椅子を並べている。カレーの暖かそうな匂いに惹かれつつも、駒沢通り寄りの飲み屋に入って、つまみ系のもので昼を済ます。この寒さでは散歩どころではないね、雨も降ってきたし、というわけで、車に戻って今度はどこぞで茶をしよう、ということになる。上の娘が昨日だんなの誕生日にと、マンゴーケーキを買ってきてくれたので(だんなの分だけ)、だんなとしてはお礼に甘味をおごるつもりなのだ。どこのケーキ屋がいいかと考えあぐねた末、赤坂のやらと、もとい、とらやへ。このへんは人通りもそんなに多くないのだが、地下の茶店に入ると席はほとんど満席。隠れたデートスポット?久しぶりに美味しい和菓子に舌鼓を打つ。


 夜レンタルDVD「プレステージ」を観る。原作はプリーストの世界幻想文学大賞受賞作『奇術師』。19世紀末のロンドンでライバル意識に燃える二人の奇術師が描かれる。原作は、語りの魔術がふんだんに取り入れられた幻想小説で、それを生かしたつくりの映画になっているが、映像にしてしまうと、本では読者の想像力で補っていた部分がなくなってしまうので、映画だけ観た人はラストでなーんだ、と思ってしまうかもしれない。映画の中で、ある中国人奇術師が、トリックのために普段の生活から「中国人奇術師」の役を演じて周囲を騙している、というエピソードが紹介されていたが、この二人の主人公たちもまさに、生きること=欺くことだった。
03月29日(土)
 だんなはゴルフでいないので、娘たちを連れて、渋谷へ買い物に出かける。春休みの土曜日の渋谷とあって、いつにもまして人が多い。あまりに人が多くて駅前のスクランブル交差点で、青信号のうちに渡りきれなかったほどである。まずはだんなの誕生日プレゼントを買いにおうと東急本店へ向かったが途中のブックファーストであえなく沈没。移転してから初めて来るが、ずいぶんこじんまりとなってしまったな。渋谷では大きな本屋さんなんて流行らないのだろうか。
 それから東急へ。名刺入れを用意してあったが、これだけでは包みが小さくてさびしいので他にも何か買おうとうろうろする。衣類は本人の趣味がけっこううるさくて、気に入るようなものを買う自信がないし、カフスボタンはあまり出番がなさそうだし、と悩んで結局無難なネクタイとなり、しかも気に入ったアニマルプリント柄は色合いが淡くてだんなの趣味ではないし、とまたまた悩んで無難な模様織りのものとなる。続いて娘たちの服をユニクロで買い、自分の靴や楽譜も見ようと思っていたけれど、くたびれてそのまま帰宅。

 宮部みゆき『誰か…』(幻冬舎)読了。たまたま出会って恋に落ちた女性が、今多コンツェルンの会長令嬢だったことから逆タマ結婚することになってしまった杉村を主人公にしたシリーズの1作目。いつも感じることだけれど、普通の人々が見せる棘のある感情を描くのが上手い作家である。その分、会長令嬢の家族の気持ちが見えてこないところが不思議。
03月28日(金)
 ガソリンを入れたついでに洗車をしてもらった。普段一番安い機械洗車なのだが、今日は「ずいぶん黄砂がこびりついてますね。普通の機械洗車では落ちないかもしれません。」と言われてしまった。一番安いのだと、機械は一往復しかしないのだそうだ。ふぅん、そういうものなのかと、素直にもう一つ上のランクにしてもらう。


 夜、大阪シンフォニカー交響楽団の東京公演を聴きにすみだトリフォニーホールへ行く。子どもたちに、今日の夜はお母さんは出かけるから、と言ったら、どこへ行くの?何しに行くの?誰と行くの?と、私が子どもにするよりもチェックが厳しい。

 今日のプログラムはエルガーのヴァイオリン協奏曲、ブラームスの交響曲第2番、指揮は来年シンフォニカを振っていただく大山平一郎先生、Vnは竹澤恭子、アンコールはエルガーの弦楽セレナーデの第2楽章。

 エルガーの協奏曲は、ちゃんと聴くのは初めて。ロマンチックな部分が随所にあるものの、重音や速いパッセージなど技巧的な難易度が高く、しかもヴァイオリン協奏曲としては最長ではないか、というぐらいの長さ(プレ・トークでは50分掛かります、というお話だった)なので、音楽性、技巧だけでなく、体力、筋力に自信がある、ほんとうに脂の乗り切ったときでないと、こういう曲を本番で聴かせるのは大変なのではないかと思うが、今日のソリストは、まさにそういうコンディションで、磐石のテクニックと、それを上回る表現力に圧倒された。ブラームスの交響曲は、大山先生らしく、隅々まで丁寧に作られていて、弦楽器も楽しそうに弾いていたのだが線が細く感じられるのは弦楽器に女性が多いせいかな(ヴァイオリンは26人中男性は4人)。前半で協奏曲を弾く竹澤さんの姿を見て、やっぱり豊かな音を出すには体格が必要だと、痛感してしまったのだった。アンコールは、弦楽器奏者の大山先生が育てただけあって、音色を十分に引き出した美しい演奏。

 
03月27日(木)
 久しぶりに雑草取り。芝生にもちらほらと青い葉が伸びてきているが、雑草の成長のほうが速いので、雑草が目につきやすいし、しっかり根を下ろしたわけではないので、引っ張ればすぐ抜ける。ぽかぽかと暖かい日差しを背中に浴びて、庭仕事日和。水仙は10球しか植えなかったが花が大きいので咲き始めたらかなり存在感がある。一方、チューリップのほうは全然伸びてこず、やきもきやきもき。


 ヴィオラ化計画ゆっくりと進行中。まず左手の指を広げなくちゃ、と、ドミレファミソ♪といった練習をするのだが、この場合の指の「132434」の、最後の3度を「34」で取るのが、とてもじゃないけど指が広がらない。ヴァイオリンで10度を弾くみたいな感覚かな。ヴァイオリンでも出来るだけ10度を避けて生きてきた根性無しの私には無理……
03月26日(水)
 学芸大学駅前の東急ストアが東横線高架の耐震工事のために今月一杯で閉店になる。それで、缶詰とか調味料とか2割引セールが始まったので、力持ちの下の娘を連れて買い物に出かける。といっても、家にそんなにたくさん備蓄できるわけでもなし、みりんや小麦粉、砂糖、出し昆布、調理用紹興酒など、よく使うものをひととおり買って、あと牛乳二本買ったらもう二人でも持ちきれないぐらい。干し貝柱とか、カニ缶とか、2割引になっても高いな〜と、伸ばした手をつい引っ込めてしまうところが、我ながらセコい。
 
 
 岡山のホーム突き落とし事件、犯人の18歳少年の父親の会見がTVで流れる。被害者の家族の言葉も聞いていてつらいが、加害者の家族の言葉もやりきれない。今の世の中、自分の子どもが被害者になる可能性も十分あるし、そして、加害者になる可能性だってないとは言い切れない。いろいろな事件の報道を見ていると、子どもを100%信頼することなんてできないという気がしてくる。そのうえでなお、信頼するということの難しさ。
 
03月25日(火)
 だんなが体調を崩して午前中休み、昼前に私が車で会社まで送っていくことになった。天気はよく、ドライブ日和、海岸線を小田原まで走っていったら気持ちよさそうだ。いろいろなところで乱反射しているのか、まぶしくて目を思わずしばたたく。
 暖かさに、知らず知らずぼーっとしてきて、帰りはどこぞでコーヒーの一杯でも引っ掛けて帰ろうかと思ったが、通りすがりに車を停めることができるコーヒー屋が見当たらず(一人でロイホもなんだし)、わざわざ遠回りをして瀟洒な喫茶店に行く気にもなれず、結局とんぼ返りで東京へ戻る。だんなは4月から東京転勤になったので、こうして私がだんなを送ることももうこれが最後だろうな、と道中少しだけ感傷的な気持ちになるが、時代の流れなのか、つぶれてそのまま打ち捨てられたガソリンスタンドばかり目についた。


 夜、NHK教育TVの「悲劇のロシア ドストエフスキーからショスタコーヴィチへ」最終回のショスタコ篇。亀山先生の若かりし日のチェロを弾くお姿が出てきたが、外語大オケで弾いていらしたのかな。
 今日の発見は、交響曲第5番4楽章に「ハバネラ」の合いの手(「ご用心」のところ)が引用されていて、最後に延々続くAの音がロシア語の古語では「私」を意味することと合わせると、一見革命賛歌のようでありながら、体制に抗いながら自分という「個」を刻印する芸術家の意志が見えてくるのでは、という話。
 ショスタコの名前を音名に置き換えた「DEsCH」が繰り返されるのを聴いて、横で見ていた娘たちが「これは昔聴いたことがある」と言い出した。それはもしやこれでは?と弦楽四重奏曲の8番を聴かせると、「それそれ、小さいとき車の中でよく聴かされたよね〜」と、歌いだす。ショスタコばかりやっていたわけじゃないんだけどな〜


 カズオ・イシグロ/土屋政雄訳『わたしを離さないで』(早川書房)読了。傑作。ここ2、3年に読んだ本で一番心にしみた。
 キャシー・Hという31歳の「介護人」の独白で語られる彼女の過去と今。ヘールシャムという地にある施設で多くの仲間たちとともに成長し、勉強し、喧嘩をし、性に目覚め……ささやかな日常の中に、彼女たちの置かれた特異な環境が次第に見えてきて、そこで生きる彼女たちの希望や諦めがひたひたと胸に迫ってくる。男女三人の愛と友情の物語でもあり、人間が将来直面するかもしれない倫理的な問題を描いた小説でもある。
03月24日(月)
 朝のうち雨が降って少し冷え込む。暖かくなったり寒くなったり忙しい。とはいえ、春は着実にやってきていて、碑文谷公園の桜も、枝によっては花開いている。今日の天気だと見る人もいないが、今度の週末あたりはそろそろ花見客でにぎわいそうだ。

 ヴィオラをさらっていると、下の娘から「お母さん、なんだか楽しそうだね」と言われた。今はただ、音が出るだけでうれしい、たまにC線が弓できちんとつかまえられて、顎の骨にグワヮ〜ンと響くのが快感、という段階なので、楽しそうに見えるのだろう。ただ、やはりすごく力が要る。ちょっと弾くと首の左後ろが痛くなっているし、右腰にも怪しげな気配を感じる。単なる運動不足のせい?それとも姿勢が悪いのかな?準備運動、整理運動が必要かも。


 今読み途中は久しぶりのカズオ・イシグロ、「わたしを離さないで」。過去の出来事を思い出すままに淡々と語る中で、物語が現われてくるという手法はよくあるものなのに、かすかな緊張感と切なさが持続して上手いな〜。
03月23日(日)
 昨日のあまりの散歩日和に、「明日は三鷹あたりを散歩しよう」とだんなが宣言していたのだが、WEBで調べてみたら目当ての古本屋がもう閉店していることが分かり、急遽目的を失う。私は内心、吉祥寺のケーキ屋さんへ行く気満々だったんだけど。どこへ行こうかと悩んでぐずぐずしている間に昼近くになり、とりあえず、上の娘を連れて白金のブックオフへ行くことに。

 外苑西通りに車を止め、ブックオフで親子三人三様の買い物をしてから目黒通りを下り、桜田通りを北上して麻布十番へ向かう。昔タモリ倶楽部で大江戸線の駅間を、地下鉄に乗るのと歩くのとどちらが速いか検証していて、かなりの区間で歩きに軍配が上がったが、南北線はどうなのかな。白金台、白金高輪、麻布十番と2区間歩いてもたいした距離ではなかった。麻布十番にたどり着いたところで甘味屋さんで軽く食べて、地下鉄で白金台に戻る。地下鉄の中で隣に座っていた外人の5歳ぐらいの少年が「マンガ日本の歴史」を読んでいるのを、隣りから父親がけっこう真剣な顔で覗き込んでいた。横目でちらっと見たら、第二次世界大戦の巻。戦争シーンは、どちらの側にいたかで見方が違ってくるから、このお父さんも何か言いたいことがあるかもしれないな。

 途中、買い物したりして帰宅したら5時半。昼、家を出るときには蕾のままだった水仙が、二つばかりぽっかりと花開いていた。チューリップのほうは成長が遅くてまだ蕾もつけていない。なかなかいっせいに花開き、とはいかないものだ。


 夜、先日録画したベルリン・フィル特集の続きを観る。フルトヴェングラーが振ると、ピアニシモでみんな怖くて弓が震える、で、弾くのをやめる人が出てくる、その結果ほんとうのピアニシモになってしまう、フルトヴェングラーのピアニシモは恐怖のピアニシモなのだ、という話に、ベルリン・フィルの人でも、ピアニシモでびびって弾けなくなることがあるんだなーと、僭越ながら共感を覚えてしまった。
03月22日(土)
 シンフォニカシーズン始まる。例年夏の演奏会の練習は4月第2週から始まるものだが、今年は、ついこのあいだ前の演奏会が終わったばかりなのにもう始まってしまった。ツァラは、思いのほか短くて、マーラーの7番のときのような、めくってもめくっても難所が続き…というのよりはかなり楽で(それに今回は2ndだし)助かっているが、いくつか、スコア見てCD聴いてもよく分からないところがあり、指揮を見て弾いても、やっぱり分からないまま瞬時に過ぎ去ってしまった。困った。
 
 今回のプログラムは、「魔笛」序曲と、ブラームスのヴァイオリン協奏曲、と「ツァラ」。「ツァラ」は「2001年宇宙の旅」の冒頭の印象が強くて、金管が活躍する曲かと思われがちだけど、実は弦楽器のための曲でもある。ごちゃごちゃした難所で指が回るというだけでなく、一人一人の音色を磨いてそろえることが必須だ。昔カーネギーでフィラデルフィア管/サバリッシュで「ツァラ」を聴いたとき、休憩時間に舞台でヴィオラ1プルト(おじいちゃんと孫みたいな組み合わせだった)がゆっくりなところを丁寧に合わせていたのが強く心に残っている。


 今日は22回目の結婚記念日。あと3年もすれば銀婚式じゃないかと、ちょっと愕然とする。子どもも大きくなるわけだ。

03月21日(金)
 私は、たまたまTVで放送していたら見る、というぐらいのユルいフィギュアスケートファンだが、今回の世界選手権の浅田真央みたいな転倒のしかたは、あまり見たことがない。足を踏み出したとたんに、エッジが氷面を捉えられずにつるっとすべったような、ただのジャンプすらしていないような状況だった。練習に練習を重ねているので、転倒のあと、頭が真っ白になっても音楽に合わせて身体は動いていくのだろうが、何秒後かに我に返ってからは、どうしてあんなことになってしまったのかという悔いが幾度も頭をよぎったのではないか。でも、浅田選手はその後そんなことを感じさせない小気味よさで最後まで滑りきった。もう高2になっていると怖いもの知らずというわけではないだろう。自分のことを名前で呼ぶようなところが、甘えんぼうのお嬢さんのように見えるが、10代半ばの体格がどんどん変化していく時期に、自分を修正してトップ選手で在り続けるというのだから、才能があるだけでなく精神力も強いんだなと、素直に感動してしまった。思わず我が家の高2に「最初にあんな大失敗して挽回するなんてすごいもんだね〜」と言うと、「ふぅ〜ん」とつれない返事。
03月20日(木)
 春分の日、でも雨で冷え込む。先日の室内楽講習会の映像と、20年近く昔にカザルスホールアマチュア室内楽フェスティバルでラズ1を弾いたときの映像をだんなが見比べていたので、私も横から自分の弾き方をチェックしていたら、この20年ぐらいでずいぶん変化している。若いときに比べて今のほうが、よく言えば無駄のない動きをしていると言えるが、悪く言えば省エネモードになっているというか、溌剌さが失われている。昔使っていた楽器は、初動にエイっと気合を入れないと音が立ち上がらないという楽器だったので、そのせいで動きが大きくなっていたせいもあるが、もしかしたら、オーケストラで長く弾いているうちに、動きがはみ出さないように小さくなっていったのかもしれないし、単に歳のせいなのかもしれない。原因はいろいろあるだろうけれど、自分って、こんな弾き方をしていたのかと、なんだか他人を見るような気がした。もう少し意識的に身体を動かすようにしないと、と反省した次第。


 BSハイビジョンで、「夢の音楽堂 世界最高のオーケストラ ベルリン・フィルのすべて」という番組をやっていて、これがなんと13時から20時までの長丁場。ゲストに土屋邦雄と吉松隆を迎え、125年の歴史を振り返るというもの。いちおう録画をしたが、18時以降は、娘が録画予約をしていたほうが優先されたらしくて、とれていなかった。最後の2時間は、ギュンター・ヴァントのブルックナー9番と、小沢征爾の悲愴。ブルックナーが聴きたかったのに残念。
03月19日(水)
 15時ごろだんなから電話があって「今成田に着いた」という電話があった。帰国は木曜日だとばかり思っていたので、動揺してしまう(動揺する必要はないんだけど)。

 今回は短い出張だし、お土産なんて要らないよと言っておいたのだが、そうはいってもお土産を買わねば、と思うらしくて、会社で配る分も合わせて大量の菓子を買ってきた。FAUCHONのチョコレートやキャンデーと、LADUREEという店のマカロンやマシュマロ、パルミエパイ、フィナンシェ、マドレーヌ。最近、日本でもマカロン人気が高いようで、あちこちでよく見かけるようになったが、パリでマカロンといえば、このLADUREEが一番人気だそうで、しかも日本には出店していないので、さっそくこのマカロンから味見してみる。バラとショコラとヴァニラ、あと緑色のはピスタチオかな、4種類の中から私は地味にヴァニラを選択。外の皮はサクっとしていて、中はしっとりねっとり。アーモンドの香りが口の中に広がる。甘い、けど美味しい。幸せな夜。
03月18日(火)
 家計簿をつけるために財布の中の小銭を机に広げたら、なんだか違和感がある。なんだろうなんだろう…としばし眺めて気がついた。外側のギザギザがなくつるっとした100円玉が1枚混ざっていたのだった。このあいだ本で「ギザ10」という言葉を見かけ、昭和26年から34年に製造された10円玉にはギザギザがついており、それを集めている人がいるということを初めて知ったのだが、つるっとした100円玉が製造されたことがあるわけではないから、誰かが一生懸命ギザギザを削ったのだろう。ネットで検索するとギザギザのない100円玉を見つけたと言う話はいくつもあるから、けっこうな枚数が出回っているのかもしれないが、そうだとすると、ギザギザを削るというヒマな人がそんなにたくさんいるというのも変な話。それとも使っているうちに自然に磨耗するということがありえるのかな。
03月17日(月)
 いただきもののチケットで、ジュリアン・ラクリンのリサイタルを聴く。(Oさん、ありがとう!!)
ホールは紀尾井ホール。最寄駅は四ツ谷だが、うちからだと永田町か赤坂見附に出るのがいいようだ。18時過ぎの電車に乗って乗り換え案内に従い永田町で降りてみたところ、ちょうどOさんに出会い、清水谷公園の前を歩いてホールへ向かう。


プログラムは
ショスタコーヴィチ 24の前奏曲Op.34より 2、6、12、13、17、18、19、21、22、20番
ショスタコーヴィチ ヴィオラ・ソナタ Op.147
ドヴォルジャーク 4つのロマンティックな小品 Op,75 B.150
グリーグ ヴァイオリン・ソナタ第3番 Op.45
の4曲、ピアノはイタマール・ゴラン

 ラクリンは、2002年にネーメ・ヤルヴィ指揮エーテボリ交響楽団の演奏会でシベリウスの協奏曲を聴いたことがある。そのときは、ラクリンの奔放さとオケがかみ合っていなくていびつな感じを受けた反面、アンコールで弾いたイザイの無伴奏ソナタが出色で、機会があればまた聴いてみたいと思っていたプレイヤーだった。今日のリサイタルでは、まずショスタコーヴィチの24の前奏曲で、引き出しの多彩さを見せ付けて、それからヴィオラに持ち替えてコントロールの効いた緊迫した響きを聴かせ、前半だけでもう、ブラヴォーが飛び出すような演奏だった。後半は再びヴァイオリンに戻り、もうやりたい放題。身体の動きも大きいが音楽の揺れも激しく、それにゴランがぴたりと合わせているあたり、さすが12年デュオを組んでいるというだけある。万人のお手本になるような演奏ではないが、グァルネリの音色も扇情的で、刺激に満ちた演奏会だった。アンコールはサン・サーンスの「序奏とロンド・カプリチオーソ」(これがまた、難所を軽々とありえないようなテンポですっ飛ばしていくような演奏)とクライスラーの「ウィーン風小行進曲」。いい演奏会を聴かせていただきました。感謝。

 
03月16日(日)
 午前中、弓職人さんのところに寄って(思いがけずプレゼントをいただいてラッキー♪)から、実家の父の墓のある鎌倉へ向かう。大船で東海道線を越えるまでは面白くも無い町並みだが、北鎌倉が近づくにつれ、趣きのある民家が増えてくる。と同時に車道にはみ出して歩いている観光客も増え、改めてここは観光地だったのかと感じる。

 今日は父の命日で、今年は33回忌にあたるが、実家の母は父の親族とも兄のお嫁さんとも仲がよろしくなく、もともと父が無宗教でやってくれと言っていたこともあって、法要はしないで母と兄と私、あとは私の娘たちでこじんまりと亡き人を偲んだ。彼岸前の好天とあって墓参りに来ている人も多く、霊園のあちこちに線香の匂いが漂っている。今日納骨という家もいくつかあるようで、道すがら、お墓の蓋が開けっ放しで中の古い骨壷が見えているところもあったりしてぎょっとする。「納骨のために開けてあります」という札が置いてあったとはいえ、やはり側に人がいないのに開けっ放しはまずいでしょう。

 上の娘はバイトのために先に電車で帰ったが、残りの一行は遅い昼を食べようと、海岸線をゆるゆると西へ向かう。海は、少し波が荒いが、春の柔らかな照り返しの中にサーファーたちの姿が見える。しかし長閑な反面、水の巨大な塊というものに圧倒され少々息苦しいような感じもする。片瀬山のおすし屋さんで遅い昼食をいただいて、実家へ母を送ってから帰宅。墓参り日和、行楽日和で、横浜新道に乗るまで渋滞して帰りはかなり時間がかかってしまった。
03月15日(土)
 朝一番で美容院へ行く。担当の美容師さんは無事退院して職場復帰していた。よかったよかった。昨年の春から伸ばし始めている髪、毎回どうしようかと悩み、今回もまた「とりあえずもうちょっと伸ばしてみます」ということにする。サイドの髪をどうするかという話になって、こうすると大人っぽい感じで、こうすると若々しい感じと美容師さんが説明してくれたが、この歳になっていまさら大人っぽい感じにしなくても……いやでも、若々しい感じというのもムリがあるかも……とオバサンは悩みが尽きない。結局美容師さんにおまかせ。

 雑談していて、理容師と美容師は免許が違う、ということを初めて知った(というより、今まで考えたことがなかった)。たとえば理容師は客の肌に剃刀や鋏が直接触れてもよいが、美容師はそれが許されていない、といった違いがあるらしい。だから、床屋ではクリームあわ立てて髭をあたることができるし、美容院では鋏が頭皮に触れないように櫛で髪の毛を持ち上げてからカットするのだという。へぇぇ。

 お昼、12月に亡くなっただんなの伯母さんの100日祭で、ミサの前に親戚で集まって会食する。だんなの親戚は女性優勢で、伯母たちもいとこたちもそれこそ50年前からしょっちゅう行き来していてひじょうに仲がよい。こういう血縁の結束の固い中にだんな抜きで行くのは少々つらいものがあるが、私ももういい歳なのであたりさわりない会話で親戚づきあいというものがこなせるようになってきた。

 会食のあと教会でミサ。神父さまが長髪にひげという、畏れ多くもよく絵で見るイエスさまと同じ様相で、なんだか可笑しくなってしまった。子どもの学校の関係もあってカトリック教会の神父さまは何人かお目にかかったが、みなさん髪型は普通のサラリーマンと変わらなかったけどなぁ。


 夜、MXTVでカラヤンのベートーヴェン序曲集をやっていた。「レオノーレ」のバンダのところで、バンダのすぐ後ろから舞台を見下ろすという構図が斬新だった。レンズのせいもあるが舞台がはるかかなたに見えて、あそこで吹くのは度胸が要りそうだ。
03月14日(金)
 NHKの美術番組でパウル・クレーの不思議な絵の話を聞いた。1940年(クレーが亡くなった年)作の「ガラスのファサード」という作品の裏に塗られていた絵の具が時が経つにつれ剥がれ落ち、その下から少女と天使の絵が出てきた。わざと剥がれ落ちやすい絵の具が使われていることから、クレーは、自分の死後数十年経ってこの絵が現れることを計算していたというのだ。ドイツから追われ、病に苦しんでいた晩年、何を考えてこんな悪戯のようなことをしたのだろう。
 また、この絵の少女はマノン・グロピウスであり、彼女の死を悼んで書いたという説もあるとか。ベルクもやはり彼女の死を悼んでヴァイオリン協奏曲を書いており、「ある天使の思い出に」という献辞を付けているが、偶然にもベルクもこの作品を書いた1935年に亡くなっている。二人の芸術家の晩年にインスピレーションを与えたマノンがどんな少女だったのか、こちらもまた興味がある。
03月13日(木)
 朝、フランス出張へ出かけるだんな(とスーツケース)を目黒駅まで送る。20数年前、新婚旅行で3月末のパリへ行ったときは、思わず来たことを後悔するような寒さだったので、今回も厚地長袖シャツなり、ズボン下なり、防寒具を持っていったほうがいいのでは?と思ったが、今のパリはそう寒くはないらしい。同行者が、駐在経験あり、ミシュランの三ツ星、二ツ星を制覇したとかしないとかいうような方らしいので、そちら方面は楽しみかも。


 確定申告のために、世田谷税務署へ出かける。1箇所分からないところがあったので、そこを確認してから清書しようと、申告書作成会場へ行ってみると、例年、長い机とパイプ椅子が並んでいて座って作業できたのに、今年は、投票所のような衝立で仕切られた高い机が並んでいて、立って作業するようになっていた。こうしたほうがたくさんの人が一度に作業できるというわけではないから、税務署員のほうから、回ってアドバイスするときにいちいち腰を曲げるのはかなわん!という声が挙がったのかな〜と推測する。若い人ならともかく、かなり年配の人まで立たせて、というのはどうかな。年配の人のほうが、書くのに時間が掛かるだろうし。自分の分を済ませて外へ出ると、ちょうど五反田行きのバスがドアを閉めて発車するところだったので、駆け寄って乗せてもらう。これだと、学芸大学の駅のそばを通るので、世田谷線、田園都市線、東横線と乗り継ぐより全然楽(電車で行っても時間はたいして掛からないのだが)。


 就活中の上の娘から「のだめの最新刊が出てるけど買う?」という電話。いったい、君は何をしているのか、と口に出かかったが、無論、「買ってきて」と返事しておいた。他はともかく、こういうところだけは、教育の成果が出ているなぁ。のだめは今回もまじめに練習中。
03月12日(水)
 昼にだんなから電話があって、明日から1週間フランス出張になったので着替えを用意しておいて、とのこと。例によって、洗濯を絶対しない人ゆえ日数分の着替えが必要で、とはいえ今回は明日出て来週の木曜帰国なのでそれほどの荷物にはならない。それでも、コートやセーター、背広でけっこう大きなトランクになってしまったが。

 すぐできると思って放置しておいた確定申告、ようやく書き始める(←遅すぎ!)。説明を読んで書くとなると、書かれている日本語を理解するのに時間がかかるので、昨年のを参考にして書くのだが、書式が微妙に昨年と違う!去年と何か変更でも?と、結局説明を読むことになる。
03月11日(火)
 相変わらずアレルギーでくしゅくしゅ、ぐすぐす状態。なんとか起き上がってヴァイオリンとヴィオラをさらい、我ながら勤勉な、と自己満足に浸る。夕方になって、体調不全ながらも渋谷へ出かける。上の娘の就活に、私の茶色いトートバッグを貸していたのだが、周りを見ると黒バッグばかりだというので、そんなところで周りから浮いても…と娘の鞄を買うことにしたのだ。ところが、次の会社説明会はいつ?と訊くと明日だというので、あわてて重い腰を上げて、学校帰りの娘と夕方渋谷で待ち合わせたのだった。といっても、東急東横店より足を伸ばす気力はなく、鞄売り場で迷うことなく黒鞄を買い(迷うほど選択肢がない)、ついでに就活ルックをいくつか買い足す。お店の人に、「若いわね〜大学の入学式用かしら?」などと言われてしまうというのは、やはり、いまどきの女子大生としては幼いということなんだろうな。
03月10日(月)
 アレルギー性鼻炎で一日使い物にならず。東京に越してきてからアレルギーになったことはなかったのだが、とうとう花粉にやられたのだろうか。娘の話では、体内に蓄積された花粉の量が許容量を超えると花粉症になるということだったが、ほんとう?アレルギー性鼻炎の薬がどこかにあったはずと探し出してみると、使用期限を過ぎているし、夕飯は店屋物を取り、食べるものだけ食べて(食欲は落ちないところが哀しい)早々に床につく。鼻のかみすぎですっかり赤鼻になっているので、心配して様子を見に来ただんなも私の顔を見て噴飯。失敬な…
03月09日(日)
 朝起きたら、のどがすごく痛い。風邪かと思ったが熱はなく、鼻はぐすぐす、顔もむずがゆくて、アレルギーかな。10年ほど前に調べてもらったときには花粉アレルギーはなかったのだが、ある歳になったら発症するという人もいるので油断はできない。
 
 ぐすぐすしながらも、午前中、弓職人さんにお借りしていた弓を返しに行き、ついでに新しいヴィオラ弓の元のほうに、保護シールを巻いてもらう。それから荻窪の古本屋を経て青山で中華焼きそば食べ、神宮球場の周りを1周する。天気もよく、親子連れが自転車の練習してたり、若い子から中年まで混じってローラースケートの練習していたり、ときおり聴こえてくる球場の歓声もなんだかのどかな雰囲気を醸しだしてはいるのだが、道行く人々のかなりな人数が花粉対策のマスクをしており、何も知らぬ外人さんが見たら、日本って変な国だと思うだろうな……とこちらもアレルギーでぼーっとした頭で考える。六本木で買い物して帰宅。なんだかだるいのでバイトに出かけた上の娘の帰宅は待たず、10時には就寝する。
03月08日(土)
 だんなはゴルフで出かけてしまったので、のんびりとヴァイオリンさらったりヴィオラさらったりする日中。今度のシンフォニカでやるブラームスのヴァイオリン協奏曲は、レッスンでやったことがあるので、待つところとか、テンポが揺れるところとか、だいたい分かっているが、それでもときおりトリッキーな入りかたをするので油断できない。魔笛は、刻んでいても楽しい曲だが、ごまかしが効かなくて、シンフォニカが一番苦手なタイプだ。かえってツァラのほうが気が楽。

 ヴィオラのほうは、読譜の練習に簡単なエチュードを弾いているけれど、C線の指と音程の関係がとっさにぱっと出てこないし、音が飛んだり、重音になったりするととたんにアワワとなってしまう。実用化はまだまだ。そもそも、「正しい」「理想的な」ヴィオラの音というのがまだ分かっていなくて(多分、自分でイメージしているよりも重心が低いところを目指さないといけないのではないかと思う)、やっぱりヴァイオリン弾きがヴィオラを弾いている、という状態なのだろうな。ときどき、C線で響くポイントに当たると、身体の奥底まで鐘のように響いて快感。一度、ヴィオラのレッスンをちゃんと受けてみるつもり。


 最近アヤしいメールが山のように来るようになって、アドレス禁止にしても同じ内容でさまざまなアドレスから送られてくるのできりがない。で、メール本文中のキーワードで削除するようにしたら、少しはフィルターに掛かるようになったが、中にはあからさまな言葉を使わず一般に使われる言葉だけで作られているメールもあって、これはチェックしようがない。


 吉田秋生『BANANA FISH』(小学館)読了。英二の存在に対する違和感がとうとう消えなかったが(英二は少女にとって自分の置き換えなんだと思うけど)、ベトナム戦争からコルシカ・マフィア、米政界まで話を広げていながら最後まで緩まずストーリーが進んで面白かった。こんなに面白いのに今まで読む機会がなかったのはマンガ好きの私としては不思議だが、連載していた1985年から1994年までは、結婚、出産、幼稚園受験、二人目の出産、幼稚園受験、という時期とちょうど重なっていて、その当時はそれほどばたばたしていたつもりはなかったけれど、振り返ってみればテレビも見られない、本も読めない、という時期だったなぁ……


 夜、五本木のボンシュマンにて、お祝いディナー。私は、ホワイトアスパラのオレンジ風味マヨネーズ掛け(季節にはまだちょっと早い)と牛ほほ肉の赤ワイン煮込み、デザートはチョコスフレを注文したが、今日はなんだかフランス料理を受け付けない体になっていて、食べるのが苦しかった。
03月07日(金)
 上の娘が「yomyom」に『十二国記』が載っているよ、と言うので、買ってきてもらった。「ファンタジー小説の愉しみ」という特集に入っている3つの短篇のうちの一つ。他は「しゃばけ」シリーズと森見登美彦なので、こちらも楽しみだ。
 タイトルは「丕緒の鳥」。陽子が慶王に即位した頃の話で、射儀で使う的作りを指揮する羅氏という官職にある丕緒という男の思いを描いたもの。最後に出た『十二国記』の『華胥の幽夢』が2001年だから、もう続きは出ないのかなと半ば諦めていたところだったので新作は嬉しいが、この世界、何年ぶりかで読むと、中国風の名前や役職名、組織などになかなか馴染めず、短篇なのに、設定を理解するまで数ページ、時間が掛かる。歳のせいか?
 こういうハイ・ファンタジーだと、今回のように番外編としていくつでも物語が書けそうだが、『黄昏の岸 暁の天』で垣間見えた「天」と「十二国」の対立はどうなっていくのだろう。本編の続きが待たれる。


 まじめにヴィオラ練習中。だんながMLで曖昧な発言をしたので、ベートーヴェンの13番で私がヴィオラデビュー?と思った人もいたようだが、まさか!とんでもない!慣れたヴァイオリンでもベートーヴェンの後期は筋力的に大変なのに、ヴィオラでなんてまだ弾けるわけはない。初カルテットは、モーツァルトかハイドンの簡単なのにするつもり。私は小柄ではないので、ヴィオラを弾くのに体格的問題はないはずだが、10gの弓の重さの違い、数センチの楽器の長さの違いにまだ身体が慣れず、あちこち筋肉痛を起こしつつある。
03月06日(木)
 おととい銀座に行ったときにどうもSuicaカードを落としたらしい。銀座駅の三越に近い出口に出てそのまま三越の地下に入りエスカレーターで1階に出て、三越を通り抜け、その裏の王子ホールへ行ったのだが、帰りちょうど時間の合っただんなと車で帰ったのでSuicaは使わず、車の中でないのに気がつき、帰宅してからかばんやコートのポケットをひっくりかえして探したが見つからない。残金がかなり残っていたはずで、あまりに口惜しいのでいちおう翌日王子ホールに電話してみたがやはりなく、あきらめるしかないのだろうな、トホホ。このあいだPASMOを買ったときには、落としたときのためにと記名式にしたのだが、このSuicaを買ったときには、記名式とか選択できたかどうかよく覚えていない。落としても大丈夫なほうは落とさず、落としたらまずいものは落とす、これもなんとかの法則にありそう。


 だんなが飲み屋さんでお土産に「長命寺桜もち」をもらってきた。創業享保二年、関東風「長命寺」の元祖という由緒正しい桜もちらしい。大き目の桜の葉3枚で包まれた桜もちは、餡も上品な甘さでなかなか美味しいが、ぱくっとかじったときに皮と餡が一体とならず、ちょっと違和感があるなぁ。娘たちの意見も聞いてみたが、我が家の女衆3人はやっぱり道明寺がよいという結論になった。
03月05日(水)
 午前中、ようやく病院。昨日よりかなり寒くなって、歩いていたら鼻が赤くなってしまった。体調にちょっと懸念があったのだが、器質的には問題なくほっとする。しかし、ということは、メンタルに弱いところが体調に出ているということなのかな。精神力無いからな〜


 上の娘はこのところ、「就活」というのか、各種会社説明会に顔を出すようになった。会社からのDMも来るようになって、1枚そのへんに放置してあったので、説明会は行けるだけ行ったほうがいいんじゃないの、と声を掛けると、「パチンコ業界はちょっとね〜」という答え。それもそうだ。上の娘は、私の人見知り、面倒くさがり、ひきこもり癖を受け継いだ娘なので、無事に就職できるだろうか、就職しても働いていけるだろうかと、不安は尽きないのだが、無職歴20年以上の母は何のアドバイスもできず、慣れぬスーツ姿で出かけていく後姿にがんばってね、と声を掛けるしかない。
 
03月04日(火)
 今日こそ病院へ行こう!と決意したものの、保険証が見当たらない。そういえばここ1、2ヶ月の間に、私以外の家族3人が病院へ行っているはず。犯人は誰?学年末テストで早く帰宅した下の娘に訊いても、会社にいるだんなに電話で訊いても、「返した」と断言された(上の娘は出かけているのでわからず)。なんとなくだんなが怪しいな〜とクローゼットにかかっているジャケットのポケットを探っていくと、案の定……何が「返した」だよ……ま、そういうわけで病院はまた持ち越し。


 夜、王子ホールにて東京カルテットの演奏会。土日にあったワークショップで今日の演奏会のことを知ったのだが、チケットはすでに完売。当日10時から当日売りを受け付けるという話だったので10時に電話して席を確保して、夕方出かける。王子ホールは銀座の三越の斜め裏にあって、我が家からはもっとも交通の便のよいホールである。今日は運良く学芸大学駅から日比谷線直通電車に乗れたので、あっという間に着いた。

 19時開演。客席は満杯で、ざっと見渡したところ若い人はあまりいない。室内楽というジャンルのせいか、ホールの土地柄のせいか。「じゃ、後で楽屋でお会いしましょう」などと言い交わしているおばさまたちは、桐朋関係者だろうか。

 プログラムは、
ハイドン Op.50-6「蛙」
シューベルト D804「ロザムンデ」
ドヴォルザーク Op.96「アメリカ」

 「蛙」は初めて聴く曲。蛙の鳴き声をあしらったという4楽章にはドギモを抜かれた。ハイドンも何考えているんだか、というような難しそうな曲である。「ロザムンデ」は、内声がしっかりしていて初めてロマンティックな旋律が生きてくる曲で、私はとても好きな曲。「アメリカ」は、もうお手の物という感じで、下3本がかっちり固めているところ、1stVnがかなり自由に歌っていた。こうしてみると、カルテットはやはり、内声だ、と強く思う。かすむように弾くかと思えば、1stの旋律に対してはっきりくっきりと対旋律を浮き上がらせたり、突然の主旋律を歌ったり。内声がテンポやリズムをドライヴしているのがよく分かる。

 アンコールは、プログラムに8曲の候補が書かれたアンケート用紙が挟み込まれており、人気投票で選ぶという趣向で以下の4曲が演奏された。

シューベルト 「死と乙女」3楽章
スメタナ 「わが生涯」3楽章
ドビュッシー 3楽章
モーツァルト 「プロシア王2番」3楽章
 ドビュッシーが多彩で素晴らしかった。
03月03日(月)
 病院へ行かなくちゃ、と思いながら、どこの病院がいいのか悩みつつ、たまったアイロンかけたり、日記書いたりするうちに、午前中が過ぎてしまった。ご近所さんがやっている病院が評判よいらしいので、そこに行けばいいじゃない、とだんなに言われるが、顔見知りの人に診察してもらうのってなんだかイヤ、と、若い女の子のようなことを言ってみる。


 昨日お借りした弓はフランスのVの作。昨日は素晴らしい楽器に幻惑されてしまったので、今日は冷静に、自分の楽器で他の弓と弾き比べてみたが、弓先に向かって音がすーっと伸びるような感じ、弓のどこでも楽に音が立ち上がる感じが、今借りているほかの弓と比べてかなりある。調子に乗って、モーツァルトのカルテットの譜面を引っ張り出して弾いてみたが、旋律を弾くのと違って、音を読むのに時間がかかる。室内楽でヴィオラデビューするのはまだまだ先だな。


 今日は雛祭り。子どもが小さい頃は、私もおちらし作ったりしたが、上の娘が酢飯が嫌い、だんながちらしは嫌い、とあって、だんだん作らなくなってしまった(単に私がズボラになっただけですが)。今日も、だんなは外食、母子はふつうの夕ご飯。上の娘に渋谷で買ってきてもらった桜餅だけが雛祭りらしい。私は母が関西育ちのせいか、桜餅といえば道明寺なのだが、関東育ちのだんなは長命寺派。夜、だんなが帰ってきて、桜餅を出したら、「道明寺じゃないか」と言われてしまった。
03月02日(日)
 室内楽ワークショップ2日目。今日は東京カルテットの2ndVn、池田先生のマスタークラス。持ち時間は20分ちょっとしかなく、ラズモの1楽章全部弾いたら教えていただく時間がわずかになってしまうので、再現部まで。この曲は1stVnにとっては、ハイポジションは多いし、リズムや音程の乱れがすぐにわかるような曲だし、平均台の上を歩くだけで精一杯で、その上で演技するところまで余裕がない、というような曲であり、だんなにそう言っても、なかなか理解してくれなかったのだが、先生が、「僕も学生時代、この曲の1stは弾きましたけど、この1stはほんとうに大変ですよね」と言ってくださったので、思わず我が意を得たりと、深く頷いてしまった。もう少し、身の丈に合った曲を選択するべきだったと後悔しても後の祭り。細かな演奏上のヒントをいくつかいただいたが、その根底にあるのは、4人が聴きあって作っていく、その一瞬一瞬のやりとりを楽しみながら弾く、ということに尽きる。そのためには音符を音にすることにエネルギーの大半が使われてしまうような曲では、トレーニングにならないのだろうなぁ。一方で、でもそんなこと言っていたら弾きたい曲を弾かないままに人生終わってしまうし。


 ワークショップ終了後、ヴィオラの先生のご紹介で、さるヴィオリストの弓を譲っていただけるかも、という話になり、急遽、そのヴィオリストのもとを訪ねることになった。そこで弾かせていただいたヴィオラの名器のすばらしいこと。今までヴァイオリンの名器を弾かせてもらったことも何回かあるが、楽器でこんなに感動したのは初めてかもしれない、というぐらい。張りのある明るくも深みのある音色、ヴィオラって、こんな凄いものだったんだ、と思わずため息が出た(もっとも、真正のヴィオリストにとっては音色がちょっと明るすぎる、というお話だったが)。耳福耳福。
03月01日(土)
 室内楽ワークショップ1日目。昨夏のワークショップでいっしょだった人、1月の弦楽アンサンブルでいっしょだった人、以前からの知り合いと入り混じり、最初から和やかな雰囲気が漂うが、朝9時から夜9時まで、3人の先生のレッスンと自主練習とで、勤勉な1日だった。私も結構弾けてるじゃない、という瞬間と、嗚呼もうダメダメ〜という瞬間とが交錯し、最終的には自己嫌悪で終わるといういつものパターン。大体、曲が難しすぎるんだよ!とベートーヴェンのせいにしておこう……会場がうちから近いので、夜の宴会をやって帰っても11時頃。これは体が助かる。
02月29日(金)
 「BANANA FISH」の4巻以降を早く入手するように、とだんなから厳命され、学芸大学の数軒の古本屋を廻るが見当たらず、夜、だんなを京王線の駅まで迎えに行った帰路に、駒沢のブックオフで続きを3冊購入。最初の巻に比べると、少し絵が少女マンガ的になっているかな?通勤電車の中で読むにはいささか……
02月28日(木)
 下の娘が「ちょっとこれ聴いてみて」と言って持ってきたのは、「テイルズ オブ レジェンディア」というRPGのサントラCDだった。私がやったことのあるRPG(DQ4とかFF5とか)の音楽は電子音で、いかにもピコピコという感じだったが、これはちゃんとしたオーケストラ版。「オーケストラが演奏しているから、ムダに音楽が厚いんだよ〜」と娘は楽しげだ。確かに立派な音になっているけど、戦闘シーンでいちいちこれではちとしつこいのでは。オケは新日フィルというので、K先生も弾いていらっしゃるのだろうか。


 「BANANA FISH」の3巻まで読んだところで、続きをまだ入手していないので、徒然にサリンジャーの短篇集『ナイン・ストーリーズ』を探してきて「バナナフィッシュにうってつけの日」を読む。高校時代に読んで以来?グラース家の物語をすっかり忘れているのが我ながら悲しいというか情けないというか。海辺のホテルに来ているシーモア・グラースとその妻ミュリエル。ミュリエルは実家の母と電話していて、シーモアは浜辺で寝ているところにやってきた幼い女の子とおしゃべりしている、というのどかな風景だが、ミュリエルの話によればシーモアは精神を病んでいるらしく、淡々と唐突に、銃で自分の頭を撃ちぬくという結末を迎える。ミュリエルとその母との会話からはアメリカの豊かな消費文化に浸っている様子が窺えるし、シーモアと少女との会話は成長を拒んだ子どものようで、アリスを思わせる。若い頃の私にとっては、自殺というのは観念的なものだったから、純粋にシーモアに共感する、ということも出来たが、今の私にはそれは無理。
02月27日(水)
 ツァラとラズモフスキーを練習しなければいけないのだが、1週間の約束でヴィオラ弓を借りているもので、ついつい弓の弾き比べをしてしまう。取り出した楽譜はバッハの無伴奏チェロ組曲のヴィオラ版。この曲だと、ヴィオラの楽譜を見て、ぱっと何線の何ポジションと頭に浮かぶ段階ではまだない私でも、曲を聴き覚えているのでなんとなく弾けるような気になる。不思議なのは、普段ヴァイオリンで使うG線の音より上は、音を聴いて何の音か考えるまでもなく分かるが、C線の音は一瞬何の音か分からずとまどうということだ。人間の耳なんていい加減なものだ。


 今頃になって『BANANA FISH』を読み始める(3巻まで読んだところ)。ニューヨークのストリートギャングのボスである少年アッシュが、「BANANA FISH」という謎の言葉に導かれてコルシカ・マフィア、チャイニーズ・マフィア、はては政府、軍をめぐる陰謀に巻き込まれていくというハードボイルド漫画。人物の描き分けが今ひとつで、これは誰?と迷うこともしばしばなのだが、ストーリーは読ませる。ハードボイルドの中に場違いにほんわかとした日本人青年が出てくるのだが、彼がこの先どんな役割を果たしていくのか。


 近藤史恵『桜姫』(角川文庫)読了。歌舞伎の大部屋役者瀬川小菊と探偵今泉文吾のシリーズ。大物歌舞伎役者の、15年前に死んだ息子を巡る謎と、歌舞伎座の大道具部屋で死んでいるのが発見された子役の少年の謎。「桜姫東文章」と「伽羅先代萩」がベースにある、といっても私は全然歌舞伎を見ていないので多分、100%面白さを理解できてはいないのだろうなぁ。せっかく東京に越してきたのに、なかなか観に行く機会がなくて残念。
02月26日(火)
 代官山の楽器屋さんにヴィオラの弦を買いに行ったついでに、予算いくらいくらで手頃な弓がありますか?と訊いてもう1本借りてくる。これはフランスのPのスクールもので見た目は華奢でヴァイオリン弓のよう。弦への吸い付きはよいが1860年ごろのものだというので、へたれているかもしれない。1週間弾き比べて様子を見る予定。楽器屋の帰りにヴィオラケースを持ってスーパーで買い物する。やっぱりヴィオラは重いな……


 今月初め、NHK教育テレビで亀山郁夫の「悲劇のロシア」という番組をたまたま見ていたら面白かったので、続きを見ようと思っているのだが、ついつい忘れがちになり、4回放送が終わったところで2回とちょっと見ているかな。内容は、2月3月の8回で、ドストエフスキーの長編4つ(「罪と罰」「白痴」「悪霊」「カラマーゾフの兄弟」)とマヤコフスキー、ブルガーコフ、エイゼンシテイン、ショスタコーヴィチを取り上げるというもので、話を聞いていると読書欲がそそられる。カラマーゾフは去年頑張って読了したけれど、白痴と悪霊も読まねば。最終回のショスタコも、「ショスタコが合っている」と言われる私としては見逃せない。
02月25日(月)
 突然降って沸いたロス疑惑。TVを見ていると、20数年前にタイムスリップしたかのようである。日本の裁判で無罪と決着が出ても、アメリカでは関係ないのか、ふぅ〜ん、と思ったりもするが、新たな情報が出るまでは、過去の話の焼き直しなので、見る前から食傷している。


  せっかく弓を借りてきたのだからヴィオラを弾いてみんとて、ケースを開けると、G線が!よくよく見たら切れているのではなく、テールピースの穴から抜けているだけだった。しかし、何回やっても穴にうまく引っ掛からない。弦の端っこを結んで玉を作るわけにもいかないし…明日楽器屋さんで弦を買ってきて検討してみよう。


 酒見賢一『墨攻』(新潮文庫)読了。中島敦記念賞受賞作。中国戦国時代の思想家墨子の志を継ぐ墨家集団では、墨子の非戦主義を突き詰め、徹底的な防御、守城のために、土木技術から戦闘、戦術まで研鑽を積んでおり、大国に侵略されんとする小国から依頼があれば、教団のものを差し向け籠城の指導をしていた。この小説では、秦が勃興し教団の進む道が変化しようとしている時代に、古い「任侠」に殉じようとする革離という男を淡々と描いている。どこまでが史実に基づいていてどこからが創作なのか私にはよく分からないが、記憶の片隅に残っていた「諸子百家、墨子、兼愛」という世界史参考書の単語の世界が、物語として肉付けされて目の前に立ち上がる。
02月24日(日)
 午前中からカルテット。3月1、2日が講習会なのだが、3月までにはまだ時間がある、な〜んて思っていたら今月は2月だった!(それでもうるう年だから1日猶予があるけど)そんなわけで、ラズモフスキーの1楽章を細かく練習していく。練習の終わりに録音したものを聴いてみると、全然思ったように弾けていないのでがっくり。自分ではやっているつもりのことが、音に出ないのは、毎度のことながらどうしてなんだろうなぁ……まめに録音して、どう弾けばどう聴こえるか、地道にチェックしていくほかないのは分かっているのだけど、ズボラなのでそれがなかなかできない。(今回はHさんの録音にお世話になってます、多謝)

 湘南モノレールがブレーキ故障のため駅をオーバーランする事故を起こした。湘南モノレールは単線で、いくつかの駅で上下線がすれちがうようになっている。それが、駅で停車して対向車両が来るのを待っているはずの車両が、オーバーランしてしまったというのだから、まかり間違えば対向車両と正面衝突していたわけで、娘が利用している線だけにぞっとする。夜のニュースで「復旧の見通しはまだ立っていない」というニュースを知った娘は、これは休校になるかもと期待に胸をふくらませていたが、程なく、「別の交通機関を利用してくるように」という連絡が回ってきてがっくりきている。
02月23日(土)
 弓職人の方に、ヴィオラの弓で手頃なものがあれば教えてくださいと頼んでいたところ、連絡が来たのでさっそく見せてもらおうと出かける。生田緑地にあるお宅に15時という約束で14時45分ごろお宅の前に到着。いったん車の外へ出たところ、すさまじい風に土や砂、落ち葉が舞い上がり、どこからか、発泡スチロールの箱まで飛んでくる。見上げると、丘陵地帯の上の空は黄色っぽい雲で一面覆われている。天変地異、神の怒り、ソドムとゴモラ、といろいろな言葉が頭を駆け巡り、思わず寒気がしたが、約束の時間までしばらく車の中で待つ。

 紹介していただいたヴィオラ弓は、4本。そのうち2本をお借りしてしばらく様子を見ることにする。一つはフランスのLという作者のもので、もう一つはフランスのVの弓をコピーしたドイツものらしい。前者は音の立ち上がりがよく古典によさそう。一方後者は稠密な音色でロマン派によさそう。なんてことを感じたが、私はヴィオラのことはよく分からないので、ヴィオラの先生に相談する予定。外へ出ると、さきほどの禍々しいまでの空はもうなかったが、相変わらず風は強い。
02月22日(金)
 2月のわりには暖かくて、なんだか妙な感じ。昼間は、ツァラのパート譜に小節番号振ったりして、我ながら逃避モードだな〜と思う。小節番号は遅かれ早かれつけなければいけないのだが、今この瞬間は、他に優先しなければいけないアレとかソレとかがあるのに、なんだかその気になれないんだよね…と限りなく自分に甘い。

 夜、シンフォニカの宴会で目黒まで出かける。時間前に着いたので権之助坂の古本屋で、この間見たときに買おうかどうしようか迷っていたものを買おうと思ったのだがすでになく、手ぶらで店を出た。坂道を上って宴会の店へ向かう途中、信号待ちしているところで、通りすがりのおじさんに「このあたりに、火星酒場ってありませんか?」と尋ねられる。その数分前に古本屋の並びにあるその店の看板が目に留まり、火星酒場という名前から、宇宙酔いできるお酒とか?真っ赤なカクテルとか?宇宙食がつまみとか?などと妄想を羽ばたかせていたところだったので、あそこですよ、と即答してあげる。

 今日の宴会は台湾料理でどれもおいしい。「毒入りだよ〜」といって出された餃子もちょっと厚めの皮にしっかり焦げ目がついて満足満足。お酒のほうは、このところ、演奏会の打ち上げなどでも車があるため、だんなが飲んで私は飲まない、ということが続いていて、もともとそう飲みたいわけではないけれど、たまには私だって飲みたい!という気分になっていたので、台湾ビールと紹興酒とに手を出すが、やはり最近飲んでいないのですぐに酔っ払ってしまうな。最終的に20人近くの大宴会となり、愚にもつかない話題(70〜80年代のテニスプレーヤーとか)で盛り上がったり、楽しかった。
02月21日(木)
 花屋の店先は色とりどりのチューリップでいっぱいだが、庭に植えたチューリップはやっと芽が5センチぐらいになったところで、花屋で見飽きた頃に咲くということになり、季節感がだんだんぐらついていく。今年は「クイーン・オブ・ナイト」を植えたので楽しみにしているんだけど。


 夜、選曲で品川へ。途中渋谷の東横のれん街で買い物していると、桜餅の並ぶ和菓子屋さんでヴァイオリンケースをしょった男性が買い物しているのを見かける。あ、あのひげの人はもしかしてN響の2ndVnの人?この方、去年聴いた室内楽の演奏会で、1stVnを気にかけつつ、かつ、実に楽しげに2ndVnを弾いておられて、好感度アップしたのだが、和菓子好き(と、勝手に決めつけ)とはさらに親近感が増すな〜

 
 選曲、今日はスパゲッティで、デザートなし(デザート食べるために集まっているわけではないが)。私たちの任期の最後の回なので、気合を入れたいと思いつつも、20余年の歴史のあるオケだと、これがやりたい!という曲はもうあらかたやっているわけで、演奏されていない曲には「できない事情」というものがあるわけで……

02月20日(水)
 上の娘が『百年の孤独』はうちにあるか、と訊いてきたので「もちろん!」と本棚を見たら見当たらない。なぜ?!大学時代に新潮・現代世界の文学シリーズで読んだのだが、結婚するときに、だんなも持っていたので私の分は実家に置いておこうと思った、という記憶があり、だんなの本があるものだとばかり思っていたのに。帰ってきただんなに訊いてみると、うちにはないよ、と言う。うちの本棚で見かけたという記憶は錯覚だったのかな。しかし、うちにないとなれば、数年前に出た新訳を心置きなく買うことができる。
02月19日(火)
 だんなが「見る?」と言ってダイニングテーブルに投げ出していったのは胃カメラの写真。こんなもん、置いていかれても……もちろん、ピロリ菌もなし、ごく小さいポリープがあるらしいが胃カメラでも問題ないとのことなので、「こんなもん」扱いになるわけだが。食道から胃までの4センチ×5センチの写真が4枚。ライトの具合か、わりとオレンジ色っぽい。私が見てもどの部位だか全然分からないが、こういう写真って、やっぱり保管しておかないといけないのだろうか。


 下の娘の塾の英語の先生は、近頃まれな、帽子愛用のジェントルマンのようで、かなり年配の方のようだが帽子をちょっと持ち上げて挨拶なさるさまが「ステキ♪」なのだそうだ。それで塾もけっこう楽しみで英語の勉強にも身が入るというから、やはりこういう邪心というのは大事なことである。私もこんどご挨拶がてらお顔を拝見しに行こうかしらん。
02月18日(月)
 猫がぱたりと来なくなって1週間近く経つ(窓にへばりついて猫ウォッチングしているわけではないから、知らない間にうろちょろしている可能性はあるけど)。家の中からの怪しい視線に恐れをなしたのか、それとも、恋の季節が終わっただけなのか。ちょっとつまらない。


 土日ばたばたとしていたので、月曜日にほっと一息つくお気楽主婦。昨日の新聞なんぞをゆっくりと見ていると、日経新聞の真ん中ページに見開きでフェルメールの話が。「デルフトの眺望」「真珠の耳飾りの少女」「恋文」「真珠の首飾り」の4作品のカラー写真も掲載されており、ちょっと幸せな気持ちになる。日経新聞の真ん中へんというのは、ついついすっとばしてしまいそうになるのだが、日曜日は油断できないな。
 「恋文」は、楽器に興じていた女主人のところへ召使が手紙を運んできたシーンを、手前の暗い部屋から描いたもの。戸口の縦長の輪郭に切り取られた奥の部屋には左手から光が差し込み、手前の部屋の暗がりとの対照が効果的だ。この、奥行きと光の当て方との関係を見て、先月末見てきた桑原弘明の作品を思い出した。
02月17日(日)
 午前中、久しぶりにT氏、K氏とのカルテット。なかなか4人の都合が合わず、集まるのは半年振りぐらい。去年の1月に譜読みしかけたベートーヴェンの13番に本腰を入れて取り組もうということで、2回めの譜読みを始める。前回も感じたけど、2ndVnは14番のほうが圧倒的に難しい(チェロは13番のほうが難しい、とだんなは言っているが)。しかし、CDで聴いていると何気ないところで、微妙にイヤな音型だったり、やはりなかなか一筋縄ではいかないようだ。今日は大フーガはやらなかったけれど、大フーガをやるとなると筋力的に持たないかも。それに、これをどこかの室内楽大会で掛けたら顰蹙かいそうだなぁ……

 
 昼過ぎに練習終えて、代官山でランチを食べ解散。私たちは青山へ行ってお直しを頼んでいただんなのジャケットをもらってから、中野ブロードウェイへ向かう。この中に、いつも行く古本屋さんが1軒あるのだが、最近だんながもう1軒外国文学を扱っている古本屋さんがあることをWEBで発見した。なぜ今までその店に気がつかなかったかというと、15時開店なので私たちが行く時間にはいつもシャッターが下りていたからだった。寒風吹きすさぶ通りからブロードウェイの2階へ足を踏み入れると、ハングル語を話す少女集団もいたりして、熱い活気にあふれている。「こんなものも売っているんだ」と、思わず足を止めそうになるが、目当ての店へ急ぐ。ようやくシャッターの開いている時間にたどり着いた目当ての店。ものすごく狭い店にところ狭しと本が並べられ、積み上げられ、一人がやっと通れるぐらいの通路に、オタクオーラを振りまいている男性がうずくまり、下の段の本を丁寧に物色している。さすがオタクのメッカ、ブロードウェイだなと感心している間にも、客は途切れることなくやってくる。品揃えもなかなかよく、娘が探していた絶版文庫、小野不由美の「悪霊」シリーズの1冊を含め、何冊か購入して帰る。なんだか自分もオタクになった気分。


 桜庭一樹『青年のための読書クラブ』(新潮社)読了。これはすごく楽しかった。聖マリアナ学園は1919年にフランス人修道女聖マリアナが東京山の手に開いたミッションスクールである。お嬢さん学校らしい華やかさの陰で、本を読んでいるのが好き、という異端の少女たちは、学校の裏にひっそりと建っている赤煉瓦の建物にある「読書クラブ」で静かな高校生活を送っている。そんな少女たちが、学園創設時から、学園が男子校と併合される2019年までに起きた、正規の学園史には書かれないであろう5つの事件の真相をクラブ誌に綴ったものが本書である。登場する乙女たちがなぜか昭和30年代の青春映画に出てくる青年であるかのような物言いをしているのが生真面目なおかしさと懐かしさを誘う。最後は中野ブロードウェイで締めくくられ、その偶然の符合がまたツボにはまってしまった。自分自身小学校はミッションスクールだったし、娘二人も幼稚園から高校までミッションスクールで、その実態というものはよく分かっているにもかかわらず、なぜかミッションスクールというと夢見る少女になってしまう自分がおかしい…
02月16日(土)
 夜のカルテットの練習に備え、朝からおでんを作り、パウンドケーキを焼く。出しの匂いとケーキの焼ける匂いが家中に漂って、なんといえばよいのか……会社関係のゴルフへ出かけていただんなの帰宅を待って17時過ぎからラズモフスキー1番の練習。途中フラットがたくさん出てくるところは、各パートとも音程が鬼門なので、ゆっくりゆっくり聴きあいながら弾いてみる。耳のいい人がいれば、てきぱきと、「高い」「低い」と指摘してくれるのだろうが、疑心暗鬼の4人が集まっていると、弾いていくうちにどれが正しい音程なのか、よくわからなくなってくる。こういうのはチューニングメーターで合わせてもしょうがないし。それでも、何回か合わせるうちになんとなく寄ってきたような気がするのは気のせい?うまくいかないのは3連符の受け渡しのところ。どうしても転んでしまってうまく続いて聴こえない。練習後、おでんで夜食。おでんのときって、おでんがメインのおかずになりうるのかどうか、いつも悩みの種である(現にだんなに今日はおでんだと言ったら、「メインは何?」と訊かれてしまった!)。今日のおでんは牛スネ肉が入っているので、まあ、和風ポトフといえなくもないが、これに白いご飯を合わせるべきかどうか…とまた悩んで、汁なし坦坦麺を合わせてみる。
02月15日(金)
 今の季節、朝、私が起きるころはまだ暗いが、6時少し前にだんなが起きてきてシャッターを開けるとちょうど朝焼けが美しい瞬間に出会う。濃紺から緋色へのグラデーションは、空気が冴え冴えとしているせいか鮮明に見え、見る間に白々とした冬の空になっていく。歳を取ると、本を読んでも音楽を聴いても、小賢しいことばかり言いたくなって、素直に心を動かされるということがどんどん少なくなっていくのだけれど、夜明けの瞬間は何度見てもはっとして、時よとまれ、と言いたくなる。日常の中にこんな美しいものが転がっているという不思議さ。


 図書館に予約していた桜庭一樹『青年のための読書クラブ』が用意できたと連絡が来たので、久しぶりに図書館へ出かける。目黒の中央図書館では先月かなり休みを取って改修を行ったと言う話だったので、どう変わったのかと期待して行ったら、変わったのは児童書コーナーで、今まで広いフロアに大人もヤングアダルトも幼児、児童もいっしょくたになっていたのが、幼児・児童コーナーだけ床から天井までのしきりで囲われてしまったのだった。幼児がいるとどうしても動き回ったり、声を出したりするから隔離の意味があるのかもしれないが、見た目アンバランスでかえって落ち着かない。


 神奈川県教育委員会では、県立高校で日本史を必修にすることを決定した。娘の高校で日本史が必修でないということを知ってはいたが、改めて、自国の歴史を勉強しないなんて変じゃないかと思う。そんなことを言う私自身は高3の日本史の授業が面白くなく(先生が好きではなかった)、暗記項目を羅列した大量のプリントを配られてうんざりした思い出があるのだが、あれも受験前の切羽詰った時期でなければ先生にも生徒にももう少し心のゆとりができて、実のある授業になったにちがいないし、卒業してから自国の歴史をちゃんと語れなければと痛感したことが幾度あったことか。私たちの時代に比べれば、土曜日の授業がない分もっと余裕がなく、高3の後半は受験体制になってさらに授業運営が難しいとは思うけど、先生にも生徒にもがんばってほしいものである。
02月14日(木)
 ヴァレンタインデー。昨日池袋に行くので、その通り道、渋谷か池袋で買おうと前から予定していたのに、当日になってだんなが車でいっしょに出かける、と言い出したもので手配できず、じゃ、今日自由が丘か渋谷に買いに行こうと思っていたら、某所でトップスの工場が学芸大学にあり、そこで直売している、という話を見かけた。だんなは実は高級チョコレートはそれほど好きではなく、でも、トップスのチョコレートケーキは好き、という人なので、よし、ここに買いに行くぞと心を決める。工場の場所はうちから行くと駅の向こう側、商店街が途切れて少し入ったところで、外見はしがない(失礼)町工場そのもの、ケーキを売っているという気配は微塵も感じさせない。どこから入ればよいのかと覗きこみながらもためらっていると、外で作業していたおじさんが察してくれて、事務所に「お客さんだよ!」と声をかけてくれた。すると中からにこにこした若者が出てきて、「どれになさいますか」とケーキのメニュを見せてくれる。メニュといっても定番のチョコレートケーキ2種とチーズケーキ1種の3種類のみ(サイズは大中小とあるが)で、迷いようがないのだが、チョコレートケーキの中サイズをお願いする(ヴァレンタインデー用のチョコレートプレートつき)。話を聞いてみると、年中無休で朝8時半から営業している、とのことなので、なんぞの折に活用できそうである。夜、家族でチョコレートケーキを賞味する。僕だけにくれたんじゃないってのがどうもね…と釈然としない顔のだんなであった。


 森福都『琥珀枕』(光文社文庫)読了。中国もの怪奇幻想ミステリー連作。中国東海郡藍陵県の県令の息子12歳の趙昭之と、齢200歳とも300歳とも言われるすっぽんの化身である徐先生との会話から、市井の怪異の数々が浮かび上がるというもの。あとがきによればこういう妖怪、幽霊、仙人たちが引き起こす怪異を記した作品は「志怪小説」と呼ばれるらしい。不死の仙薬、カニバリズム、人面瘡などを使って人間の欲の世界が描かれるが、一方で少年趙昭之とすっぽん先生の組み合わせが飄々としているので、読後感はよい。収録作は「太清丹」「飢渇」「唾壺」「妬忌津」「琥珀枕」「双犀犬」「明鏡井」の七編。
02月13日(水)
 夜、池袋芸術劇場にて新日本フィルハーモニー交響楽団(都民芸術フェスティバル助成公演)を聴く。シンフォニカで次回振ってくださる手塚幸紀先生の指揮、ソロは松山冴花。プログラムはモーツァルト/「魔笛」序曲、ブラームス/ヴァイオリン協奏曲、チャイコフスキー/交響曲第5番。私の切符だけ買ってあったのだが、だんなが東京出張で早く解放されるとのことで車でいっしょに行くことになった。

 「魔笛」とブラームスは次回のシンフォニカの演目と重なるので、つい鵜の目鷹の目で見てしまう。モーツァルトは刻みのテンポ感が命だけど、刻みの出だしは緊張しそう。ブラームスのソリストはいかにもジュリアード出身らしい、最後まで抜きませんわよ、という感じのボーイング。体格は普通のお嬢さんなので、いくらオケがセーブしているとはいえ、オケをバックにこの曲を弾くのは少し大変そうだ。随所で、次の音に行くのにあともう一瞬待ってくれれば、と思うような瞬間があり、水をいっぱいに張った水盤から持ちこたえきれずに水がこぼれてしまうような感を受けた。ソリストが思わず嫉妬するという2楽章冒頭のオーボエソロは美しかったが、木管のアンサンブル(音程とか、楽器間の音量調節とか)はもう少しよくなるといいかも。私たちの前に座っていたベースのY氏は、前半が終わったところで、さっそくブラームスのスコアを取り出してチェックなさっていた。おぉ。
 
 後半のチャイコは、前半セーブした反動か、手馴れた曲だからか、のびのびした演奏だった。とはいえ、手塚先生の棒はシンプルで端正で、チャイコフスキーですら、すっきりと聴こえてくる。演奏会終了後、シンフォニカ関係者と楽屋に行って先生にご挨拶だけして帰る。

 
02月12日(火)
 昨日今日と、猫はさっぱり来ない。その代わり(といってはなんだけど)、キリン生搾りのCM「やっぱり猫が好き」ヴァージョンをTVで発見。WEBで見たら9月からやっているらしい。知らなかった。小林聡美ともたいまさこは「かもめ食堂」&PascoのCMで最近よく見かけるが、3人の組み合わせを見るのは久しぶり。にもかかわらず、20年近く前の深夜番組で見ていた恩田三姉妹とたいして変わっていないように思える。子どもにとっての20年といえばえらく長いだろうけど、大人にとっての20年前なんてついこのあいだなのだ。


 本番が終わったばかりだが、次回の曲の「ツァラトゥストラはかく語りき」は弦楽器も細かくパート分けされ、ややこしいので、ヴァイオリンパートはだらける間もなく練習に取り掛からないと、来月末の譜読みに間に合わない……のだけど、これだけパートが分かれているとスコアも細かくて、目には優しくないなぁ。
 
02月11日(月)
 昨日の本番で脱力しているけれど、今日は今日とてカルテットの練習。午前中はさすがに無理なので2時過ぎにゆるゆると集まる。ラズモフスキー1番の1楽章、個人的にはフィンガリングやボーイングが悩み中のところが数箇所あって、どうやっても弾きにくい、取りにくいなぁと、決めかねている。合わせる以前に、そういうところをまずクリアにしておかないと…と反省。ベートーヴェンの他の曲と同様、この曲も音階と分散和音命の曲で、そういう基礎的なところでの弱点が如実に出てしまうというのに、このところ、精神的落ち込みモードに入っているので、どの音も確信がもてない、というのも、悩みの種だ。冒頭のチェロの旋律に続く1stVnの旋律も、ほんとうに単純な旋律なのに、納まりが悪くぎこちない。嗚呼。


 昨日の演奏会のアンケートがアップされた。小学生や中学生ぐらいの、メンバーのお子さんがコメントを寄せているのが微笑ましいと同時に、私も歳取ったわけだよ、としみじみ思ってしまった。
02月10日(日)
 すみだトリフォニーホールにてシンフォニカ第43回定期演奏会 (指揮:三石精一)
 ヴェルディ  「運命の力」序曲
 レスピーギ 「ローマの祭」
 ブラームス 交響曲第3番

 今回は2ndトップなので8時集合。早い。昨日の雪で道路状況はどうだろうと心配していたが、高速であっけなく錦糸町に着いた。うちの芝生には雪が積もっていたし、家の前の道はところどころ凍りついていたし、世田谷の一般道路の端には雪が残っていたのに、錦糸町では路面が濡れてさえいないので肩透かしを食らったような気持ちになる。それほど距離があるわけではないのに、明らかに天候が違う。

 舞台セッティングのあと、オルガンの調整のあいだ1時間あまり時間が空き、楽屋で音出ししていたら、リハの始まる10時にはもう疲れてしまった。明らかに体力とか筋力とかが落ちているなぁ。楽器を弾くにもやはり少し体を鍛えないと、毎回思うのだけど、なかなか実践できない。

 リハは、いまさら舞台で練習してもしかたがないでしょう、ということでさらさらと進み、12時前には終わる。ヴェルディの、プロでも舞台でずれることがあると先生がおっしゃっていた箇所は、それほど違和感なかったが、ブラームスのほうが他パートの音の聴こえかたに、時間差があったり、音のエッジがぼやけて拡散してしまったりと、普段と違ったものがあり、怖くなる。2時から本番、「運命の力」と「ローマの祭」は思い切り盛り上がって終わり、すでに演奏会のはねる感あり。しかし、大学生なら「ローマの祭」ではじけて終わればよいが、人生半ばを過ぎた私たちは、この後にじっくりとブラームスを響かせて「さすが大人だね」という演奏をしたいものである。その結果はさて、どうだったものだか(個人的には、他パートが聴こえなくてシンコペのリズムがあやふやになってしまったり、音程はずしたり、同じパターンの繰り返しで一つ早く終わってしまったりとさんざんで、すごく落ち込んでいるのだが…)。やはりブラームスは難しい。打ち上げのときA先生と少しお話させていただいたが、こういう曲はある期間1st、2ndを固定して作っていったほうがよいのだろうな。そうはいっても、旋律も弾きたいしね…


 最新刊の『グイン・サーガ』のあとがきで、栗本薫がガンを告白している。かなり大変な状況のようだが、後は自分のほんとうに書きたいものを書くだけと淡々と綴っている。腹のすわった人だ。
02月09日(土)
 またもやお昼時、曇っていて寒かろうと思うがタンバさんが芝生の上で目を細めてくつろいでいる。そこにやってきたのはうめちゃんで、タンバさんの傍らに擦り寄ってきた。昨日の茶毛の猫(名前はまだない)に対してよりも接近している。可能性その1…タンバさんとうめちゃんは母娘。可能性その2…タンバさんとうめちゃんは仲良し、茶毛の猫の横恋慕。可能性その3…タンバさんはおばさん猫、茶毛の猫は若いメス猫で、うめちゃんは若いオス猫。うーん、どれだろう。しかし、私だって日がな一日猫ウォッチングしているわけではないのに、こうも毎日猫が庭に(傍若無人に)やってきて三角模様を見せているというのは何なんだろう。私は猫を飼ったことがないのでよく分からないのだけど、これが発情期というものですか。これから雪も降らんとする寒空の下、猫たちは寒くないのだろうか。


 夜、シンフォニカの練習。今日はGPで、てきぱきと通し練習は進む。ブラームスの1楽章の弦がかわりばんこにタカ、タカとやるところ、やればやるほど訳が分からなくなる。聴いて合わせるのではなく、それぞれ頭の中で刻んでいるリズムに乗せて「タカ…タカ」とやるしかないところだし、そうやっているつもりなのだがなぜ合わないのか。というよりも、ブラームス、一つのパートにやらせればいいものをなぜ分ける?練習が終わって外へ出ると、みぞれが降っていて足元がシャーベット状になっている。明日の本番の足が心配だ。


 森福都『長安牡丹花異聞』(文春文庫)読了。中国奇想短編集、松本清張賞受賞の表題作のほか、「累卵」「チーティング」「殿(しんがり)」「虞良仁膏奇譚」「梨花雪」の全6篇収録。森福都と森絵都と、紛らわしい名前だなと思いつつ、まだ両者とも読んだことがなかった。この作者は中国ものだけでなく、いろいろなジャンルで書いているらしいが、この短編集はどれもかなり私の好みなので、他の本も読んでみるつもり。
02月08日(金)
 昼下がり、つと庭を見ると今日は、うめちゃんとまだ名前のない茶毛の猫がごろごろしている。茶毛が近づこうとするとうめちゃんはちょっと離れる。でも、一定距離以上は離れない。これっていちおう気は許しているということだろうか。なるほど、先日(1月21日の夜)、タンバさんが道路に仁王立ちになっていたのはこの二人、いや二匹のせいか(と勝手に妄想)。うめちゃんはあられもない格好でしばらく身づくろいしていたが、突然立ち上がってひらりと郵便受けの上に飛び乗った。いつもこんなことして遊んでいたのか?


 夜、帰宅しただんながTVでやっていた「デス・ノート」の後篇を見始めた。そういえば、一昨年に前篇を見てそれきりになっていたなと、私も途中から参加。なるほどー、これはLが主人公の映画だったのか。原作の結末と違う!と娘は叫んでいたけど、これはこれでいいのでは。それにしても、月と書いてライトと読ませるような名前をつけられたら、親を恨むだろうな…
02月07日(木)
 昼下がり、庭の芝生でタンバさんが昼寝をしている。しばらくして見ると、場所を移動して寝ていた。気になってその後もちょくちょく見てみると、太陽の移動に伴い、少しずつ場所を変えて寝ている模様だ。猫の生活も大変だろうけど、なんだか極楽気分が漂っている。ちょうどうめちゃんが門の外を通りかかるのが見えたが、タンバさんがごろごろしているのを見たのか、庭に入ることなく立ち去ってしまった。私は小顔のうめちゃんと懇意になりたいので、うめちゃんが来たら煮干をあげようとてぐすね引いて待っているのに、なかなかうまくいかないものだ。


 下の娘は今日明日と校内球技大会。美術部とイラスト同好会と、文化部二つ掛け持ちしているくせに、「文化部にしてはスポーツ得意だね」と言われるのを無上の喜びとしている娘は、当然球技大会にも燃えていて、とはいっても体力的にはすでに高1には敵わないのは明らかで、高2の中で勝つことを目標としているようである。突き指や、擦り傷、ひっかき傷(?)と満身創痍で帰宅し、背筋が痛い〜とうめいている。なんだかマンガに描いたような高校生活。私自身は傍から見てどうだったかは分からないが、暗い、不安に満ちた高校生活を送っていたので、娘のこの幸せな高校生活がうらやましく思える。
02月06日(水)
 今日は冷え込むと思ったら、大きめの雪がぱらついてきた。街を歩くと、まだ日曜日の雪が屋根の上に残っている家も多いが、今日の雪はべちゃべちゃして積もりそうにない。夕べ宅配野菜で大きな白菜が届いたので、やっぱり今日はなべでしょ、と呟きながら買い物に出かける。


 夜、だんなが珍しく7時頃に帰宅。近頃だんなの胃の調子が思わしくなく、今日、仕事の合間に病院へ行って胃カメラを飲むはずだったのだが、結果はいかに。出掛けに「うちはガンの家系だからなぁ…」と不吉な言葉を残していったが、結果は特に問題はなし。ピロリ菌もLG21によるピロリ菌撲滅運動が効を奏しているのか陰性で、とりあえずは胸をなでおろす。なべと、調子に乗っただんなが買ってきたケーキとで食べすぎで気持ち悪い…
02月05日(火)
 だんなが今日の夕飯はあっさりしたものにしてくれというので、鰆の塩焼きと炊き込みご飯にする。出来合いの炊き込みご飯の素を使ってしまうときもあるが(道場六三郎のが、ピーナッツが入っていて子どもに好評)、今日は、鶏とごぼう、にんじん、油揚げ、椎茸を下煮して、昆布といっしょにご飯を炊き込んだ。炊飯器から炊き上がったピーという音が聞こえてきて、混ぜておこうと思って蓋を開けると、何か違う。ごぼうが入っていない?カウンターの上を見ると、ささがきにして水にさらしているごぼうが残っていた。大急ぎでごぼうだけ煮て後からご飯に混ぜ込んで無事にごぼう入り炊き込みご飯が完成したが、ごぼう大好き人間の私なのに、なんたることか。


 中学受験も一山過ぎたのか、うれしい報告が聞こえるようになってきた。話をちらっと聞いただけでも、中学受験の大変さが伝わってきて、つくづく、3歳児の右も左も分からぬうちにエスカレーター校に放り込んでおいてよかった、とずぼらな親は思う。もっとも、せっかく入れてもいろいろ問題があって結局苦労はしたが、それも来年度の上の娘の就職活動と下の娘の大学受験が終われば、親としてはお役御免だ(となってほしい…頼むよ、娘たち…)。上の娘の大学入試はAO入試だったので、下の娘の大学入試が我が家としては唯一の受験らしい受験となるので、受験生を持つ親の心境を初めて味わうこととなる。いちおう、「君の受験に遠慮して音楽活動を控えるとか、そういうことはしないから」、と娘には言い渡してあり、娘も「それは分かってる」と言っていたが、実際はどうなるかな〜
02月04日(月)
 朝、車で出かけようとしただんなだったが、6時のニュースで第三京浜通行止めとテロップが出ているのを見て、電車で行くことにした。例によって駅まで送って、と言うので、私の運転が危ないと、日頃さんざん文句をつけてるくせに、路面凍結している住宅地を走らせる気?!といちおう文句を垂れてみる。外に出ると、門扉もガレージの扉も凍り付いていて開かない。ガタガタと強引に開けて戻ってきて、今度は門扉についている電子錠の、暗号番号を入力するところがプッシュして開くようになっているのだが、ここが開かず、しばらく手でこすって氷を溶かす。マンションに住んでいたときには思いもよらないことがあるものだな……


 夜、夕ご飯食べながらTVをザッピングしていると、マーラーの8番をやっているのに出くわした。ゲルギエフ指揮のロッテルダム・フィル。児童合唱できょろきょろしている子がいるのがほほえましい。この曲は、青春の思い出の曲かつ、多分もう二度とやることのない曲なので、聴いているとつい熱くなる。傍で下の娘が、1000人っていうくせに1000人もいないようだなどと言うので、大学オケでやったときには1000人以上いたはずと、当時作成したレコードのジャケットの写真を見せる。中についていた名簿を見ると、ざっと1000人と数十人はいそうだ。あのころは何も考えずただ与えられた曲を弾いていただけだけど、これだけの人数をそろえて、練習させて、というマネージメントのことを今考えると気が遠くなる。それにしても、ゲルギエフの指はどうしてあんなに細かく動いているんだろう。



 加納朋子『ぐるぐる猿と歌う鳥』(講談社ミステリーランド)読了。父親の転勤で北九州のある町にある社宅に引っ越してきた小5の高見森が、社宅の子どもたちの秘密に気がついて…という子供向けミステリー。妙に懐かしい、つまり1960〜70年代に読んだ子供向けの本のような雰囲気で子ども時代に帰った気になるが、子どもが携帯持っていたり、現代の社会問題が織り込まれていたり、たしかに平成の話なんだなと引き戻される。
02月03日(日)
 窓の外に積もった雪を見て、娘たちと思わず歓声を上げた……と思ったらこれは夢で、8時過ぎに目が覚めて窓の外を見たときには、あれ、これはさっき見た光景なのに…とクラクラした。ベタベタとした雪で、すでに3、4センチ積もっているが、雪ダルマを作れるほどではない。昼ごろ童心を発揮して下の娘が郵便受けの上に高さ15センチほどのミニ雪ダルマを作る。


 14時からカルテットの練習。今日は夜がシンフォニカの練習だが、3月1日の室内楽講習会までもう1ヶ月を切っているので、2時間ぐらいでも練習したほうがいいだろうということになり、雪で足元が悪い中、うちまでご足労願うことになった。ラズモフスキー1番は、私は1回本番を弾いているので曲はよくわかっているが、ここで待つとか、遅くするとか、ヴィブラートをどうするとかのすり合わせ(特に1stVnとVcの間の)がなかなか進まない。ま、音程やリズムの精度を上げるのが優先課題なのは言うまでもないことだけど。


 16時に練習をやめてシンフォニカの練習に出発。雪で道路状況がどうか心配だったが、首都高は入り口封鎖のところが多いようだったが、一般道は問題なく、17時には森下に到着。ピザを食べて夜のコマに備える。

 シンフォニカの練習は曲順。昨日2コマやったせいか、かなり音がすっきりと整理されてきた感じがする。これでもう少し聴きあって多少のことがあっても互いにフォローしあえるように、また音程が寄り添い合えるようになるといいなぁ。「運命の力」でドラマティックに始まり、「ローマの祭り」で破天荒に盛り上がり、ブラームスで満ち足りたしみじみとした気持ちで弾き終わる、という1週間後を思い描いて、今週は最後の調整だ。
02月02日(土)
 最近、髪を伸ばしている。大学時代に伸ばしかけて結局挫折したとき以来、こんなに(というほどではないけど)伸ばしたのは初めてなので、何かと勝手がわからず、歩いていて風が吹き付けると髪が口に張り付いたりして、ええい、邪魔くさい!と思ったりしてしまう。慣れてしまえば、そんなこともなくなるのかな。

 今日は午後と夜、シンフォニカの練習。本番まで1週間となり、ようやく団内のテンションがあがってきたとみえ、先週の練習よりずいぶんよくなった(ような気がする)と同時に、細かいところでより神経を使わないといけないところが見えてきて、かなり神経を使う。tutti終了後居残りでヴァイオリンのパート練習。パートだけ取り出して聴くと、細かいところがまだまだ改善の余地ありすぎで、いささかめげるが、技術的にどうのこうのというよりは、意識をどこに向けるかでよくなるところも多そうだ。

 終了後、チェロのK氏宅で行われているチェロパートちゃんこの会に合流。行ったら、だんなはもうワインを聞こし召している(誰が車を運転して帰るんだ??)。残念ながら私は夕方に焼きそばを食べてしまったので、ちゃんこは一口二口いただいただけだったが、生姜入りのつくねも軍鶏もおいしゅうございました。K氏ご夫妻に感謝♪
02月01日(金)
 このところ、昼夜を問わず近所の猫たちがかまびすしい。夜中うるさくて窓の外を覗いた娘は、隣家との境の塀の上でにらみあう二匹の猫を目撃したとか。今日も朝からどこかで鳴き声が聴こえるので、道に出て見たところ、お隣りさんのBMWが猫の足跡だらけになっていた。お隣りさんはほとんど車に乗ることがないみたいなので、猫もこれが動くものだと気づいてないのかもしれない。


 このところ、どちらが先か分からないが精神状態も楽器の調子も悪く、デンマークのJの楽器が重く、かさばって感じられてしかたがない。ナポリのJのほうが全体に細身なのは事実なのだが、そのわずかの大きさの違いが、G線のハイポジションを弾くときに応えるというか。私もそろそろ歳だしなぁ……とりあえず本番前なので両方の楽器の弦を変えて見て、様子をみようと、代官山の楽器屋さんへ出かけた。けっこう寒い。駅のホームに上がってみると、1時間前に起きた日吉での人身事故のせいでダイヤが大幅に乱れていて、思わず風当たりの弱そうな日向を探してしまう。とはいえ、10分ちょっとで鈍行電車がやってきて、持ってきた「ちくま日本文学 太宰治」をほとんど読む間もなく代官山に到着してしまう。弦2セットと、松脂(落として割れかけたまま使っていた)も買って遊ぶことなく帰宅。新品の松脂のとろけそうな表面にちょっと幸せを感じる。


 今日も冷凍餃子事件が大問題になっている。誰かが故意に混入したのか、何かの不具合で混入してしまったのか分からないけれど、食生活で「どこでも、いつでも、だれでも」を追求していったら、どこかでわけの分からないもの(農薬にせよ、保存料にせよ、偽装肉にせよ)が入ってくる可能性が高くなるのは当然だろうな、と思う。かといって地産地消で、生産から消費までの過程をクリアにするなど、いまさら無理だし。

ご意見ご感想はこちら