資料11                                  2004.10.27.Wed.

出見真樹志氏のカタトニー発症についての報告

心理学系助手 鈴木光乃

 当小山田研究室チームは、統合失調症の陽性症状に相当すると思われる出見真樹志氏の妄想症状に対しカウンセリングによる治療を検討していたが、そのプランに変更を検討させる事態が生じた件について、以下の通り報告する。
 現在出見氏は心理状態の不安定な状態が極まった結果としてのカタトニー症状に陥り、感覚へのあらゆる刺激に対して反応を返せない状態である。出見氏の症状がそこまで切迫していると判断していなかった当チームにとってこの発症は予想外の事態であった。
 出見氏の心理状態に突発的な変化が起こったことで症状が急激に進行したものと考えその原因を調査したところ、次のような事実があった。
 妄想症状の分析補助にあたっている富良晶氏が出見氏にEメールで連絡をとり、妄想内容の或る点について問い合わせをしたところ、電話連絡にて返事があった。電話での会話において富良氏の問い合わせに対する回答がなされたが、そこにもやはり妄想症状が確認された。
 出見氏の居住する店舗兼住宅の管理責任者武田壮一氏よりの通報で出見氏が病院へ搬送されたのは、この電話での会話終了の15分ほど後のことであった。
 富良氏の携帯端末によって録音された会話内容の文書化されたものを以下に提示する。なお録音は通話開始の1分後からのものであること、会話内容については(当チームの携わる案件にかかわりのないプライヴァシーに関する内容が資料提出者の富良氏によって予め削除されていることを除いて)出来る限り手を加えていないことを申し添えておく。

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 富良:じゃあ、やっぱりこの新田さんというのは出見君の友達だった人なの?
 出見:新田…そうだよ。友也(ユウヤ)だよ。高校中退して、その後専門学校のときからずっとここにいたんだ。
 富良:ここっていうのは?事件のあったの、出見君のところから近いところでしょ、荒川の、橋のところ。その近くだったの?新田さんという人が住んでたの。
 出見:ここだよ。新田の叔父さん叔母さんだから、社長と夫人。
 富良:そうだったの?えーと、大学の同級生とかがその近くにいたんじゃなかった?
 出見:そんなこと、先輩に言った?
 富良:いや、うん、まえに聞いたことあるような気がしたのよ。
 出見:でも、違うよ。
 富良:仲、よかったのね。前に、出見君同人誌くれたでしょ、出見君の作品載ってるの。あのなかに、「新田」っていう名前の出てくるのがあったね。
 出見:友達だから。
 富良:その、新田さんの事件、ね、ちょっと気になってるんだけど、メールでも言ったんだけど…エナミの、あの事故の日と同じだったのね。ね、それって、別に何もないよね?
 出見:何って?
 富良:あのね、二つのことって、別に、何も関係ないでしょ?同じ日だったとか。
 出見:聞いて、どうするんですか。もう過ぎたことでしょ。どうしようもないよ。
 富良:なに?なにかあるの?
 出見:もう、いいじゃないですか。関係ない…ことはないけど。
 富良:妹のことよ。二人のことには口を出さないようにしていたけど。

 出見:友也も、エナミも、副業をやってたんですよ。その二人に面識はなかった。なかったはずだよ。ガイストになることは、その当人と組織の間だけの秘密契約だから。ガイストというのは、先輩ならわかるでしょ、ガイスターシュライバー、つまりゴーストライターの略。友也は昔から、曲をつけるための詞を書き溜めていたし、エナミは、ああいう子だったから、マンガのような話を空想しては書いてた。そういう表現欲のある若い人間を雇って使う組織があったんだよ。そして作家や、歌手や、創作する人間の作品の本当の作り手になるんだ。友也は
沖田カズヤの詞の本当の作者だったし、エナミは漫画家の沙漠谷エリ・ラマ姉妹のストーリー担当だった。友也が書いて沖田に渡った詞も僕は知ってる。組織はそうやってガイストを使うことで、沖田や沙漠谷といった表の人間たちをも縛っていたんだ。
 富良:ガイスト?ゴーストライター?それで、エナミと、あの子と、新田さんという人、その二人がそれで?どういうこと?
 出見:沖田とかいう個人の存在なんて、もっと大きな、ネットワークのようなもののなかのほんの一部分にしか過ぎないものだったんだよ。ただの看板みたいなものだよ。裏ではその看板を使って多くの人を引き寄せて、そしてとてつもない大きさの金をあつかう産業が動いてるんだ。普通の人が知ってるよりも、そのネットワークは大きく、深く拡がってるんだよ。一人の人間が全部の曲を作って詞を書いて、それを中心にビジネスが動いてるなんて、そんな単純なわけがないんだ。沖田なんていう名前は、いわば一つのファクトリーの名前で、表に出て歌ってたあの人間はただのスピーカーみたいなものだよ。特定のプログラムにしたがって動くソフトウェアであって、自由に創作している個人なんてものじゃなかったんです。
 富良:エナミ、も、あの子もそういうことしてたの?沙漠谷って?
 出見:先輩はマンガなんか読まないから知らないだけ。今の中高生の女の子なら知ってる名前だよ。もう、いないけど。
 富良:いないって?
 出見:沖田と同じ。組織の都合で、組織自体が存在形態を変えたから、不必要になって、消去された。
 富良:沖田と同じって、死んだの?…あの子も、新田さんという人も、そうだってことなの?…沙漠谷って、そのことも、新聞に載ってた?
 出見:載ったよ。でも、次の日の新聞だった。海外のニュースで、身元が詳しくわかるのに時間がかかったから。ロスの交通事故のニュースだよ。沙漠谷の妹の、ストーリー担当のほうが死んだ。あの姉妹はお姉さんの方が横浜に住んでて、ときどきテレビのクイズ番組とかに出てたりして、ネットでやりとりしながら一つのマンガを書いていると世間では思われてたんだ。 富良:じゃあ、出見君は、そういう人たち全部、あの子も、沖田も、新田さんという人も、その漫画家も全部、みんな、その組織とかに殺されたって言うの?。
 出見:組織の改変があった。組織のビジネスがどんどん大きくなって、人間のゴーストライターを使うことで生じる秘密漏洩のリスクも大きくなってこれ以上は危険だということになった。それで、組織はもう創作をさせるためのガイストを使うことをやめた。それにかわる代替手段を手に入れたんだよ。完全に組織の指示通りに動いて、人間と違って予測不能な突発的行動などをとって秘密を漏らしたりしない、組織を脅かすことのないような存在。それが準AI型文書作成ソフトウェア。組織は『カリオペ』という通称で呼んでいる。ギリシア神話に出てくる、芸術をつかさどる九人姉妹の女神ミューズの長女、英雄叙事詩を書く詩人の守護神の名前です。
 富良:それで、なんでみんな殺されなくちゃいけないのよ。何言ってるの。そんな話であの子が死んだことあれこれ言うの、わたし怒るよ。
 出見:だから、もういいじゃないかって言ったでしょ。聞いたのは先輩だし、信じようがどうしようがこの話は他に漏らしちゃ絶対だめですから。ああいう世界は、少しイメージが変わるだけで客がついたり離れたりする不思議な世界で、しかも動く金の大きさが半端じゃない。悩める青春の象徴、若くて新鮮な感性、そういう沖田や沙漠谷の単純なイメージが商品になるんだ。大きなビジネスを生むものでも、露骨にビジネスのイメージがつけば客が離れる妙な世界だよ。イメージを護りながら組織の改変を図るため、一挙にああいう処理がなされた。ガイストの完全一括消去。組織は損はしないよ。沖田の曲なら、これからも「遺作がみつかった」といって売り出され、沙漠谷のマンガだって様々なメディアでの販売展開や映像化という商売がつづく。そして、これからはなにより『カリオペ』を使って創られた、つまり人工知能が書いた作品が、偽りの作者の名前で世に出て、また新しいビジネスが展開されるんだ。
 富良:そんな…ねえ、どうしたらいいの?わたし…
 出見:どうもしなくていいんです。ただ、黙っていれば大丈夫だから。
 富良:そうじゃなくて、…出見君、どうしたら出見君が…
 出見:これは僕の問題でもあるんだ。だから、僕は僕でなんとかするしかないから、いいんです。だって、『カリオペ』の開発の片棒を担いでしまったのは、僕なんだから。『カリオペ』が出来てしまったのは、僕のせいでもあるんだ。〈インスティテュート〉が開発しているAI、アトラハシスの人格構成安定要素「アトル」として僕はずっと計画に関わっていて、やっとアトラハシスが覚醒しだしたと思ったら、インスティテュート内の一グループがアトラハシスのデータを盗用して『カリオペ』を創り上げて、組織に渡して…アトラハシスの開発目的と本来関係なかったところに商業的価値を見出した連中がいたんです。
 富良:もう…どうして出見君がコンピュータ開発と関係あるのよ。出見君は独文が専門で、大学院生で、博論だって書くはずだったでしょ。エナミが急にあんなことになったり、お友達が亡くなったり、勉強のことでいろいろストレスがあったりして、混乱してるだけでしょ?
 出見:僕が何をしてたって、「アトル」としてすべきことがなによりも大事だったんだ。しょうがないんです。なにも、独文研究者になることが唯一つの生き方じゃないし。僕は、アトラハシスにアクセスできる「アトル」という存在として、アトルの遺伝情報を再現して生み出されたクローンなんだ。今の世界で、「アトル」としてアトラハシスの再生を補助することは僕にしか出来ないことだった。…それに、大学を辞めちゃったのは、やっぱり僕自身の、自業自得でもある。そういう流れになるしかなかったんだ。これも、先輩、誰にも言っちゃいけませんよ、特に、大学関係者には。『カリオペ』が関係しているのはなにも出版やショウビジネス界だけじゃない。物を書く人間は他の世界にもたくさんいる。大学にも。今、ありとあらゆる大学の、いろんな部署で出されている研究紀要、学会の研究誌、研究者が出す著書、論文、そういう文書のうちのどれだけ多くが実際には『カリオペ』によって書かれたものか、想像もしたくないです。かなりの割合ですよ。僕はそれを知って、虚しくなっちゃったんです。
 富良:そんな、そんなこと、あるわけないじゃない。もう、ねえ、どうしたら…わたしだって、紀要とかに論文は書いてる。そんな話、あるわけ、ないでしょ?
 出見:先輩は非常勤しかしてないから、そういう情報からはシャットアウトされてます。それに、他の誰に聞いたって、秘密は漏らしませんよ。自分が危険になるから。いつか専任になったら、組織からそういう契約の勧誘が来ますよ。そしてたいていは、皆結構喜んで『カリオペ』の使用を受け入れるんです。物を書く仕事が格段に楽に、というか、ほとんどなにもしなくても出来ちゃうんですから。アードリアン・レーヴァーキューンみたいに契約を交わして、力を貸してもらうんですよ。
 もうすでに、新聞・雑誌のかなりの部分は『カリオペ』かその亜種のソフトウェアで書かれたもので埋まってます。ワープロの定型文例とかテンプレート機能の延長くらいにしか思われずに、急速に広まっている。僕たちのまわりにある言葉はみんな機械仕掛けの神が語ったものです。もう、いいでしょう。先輩が送ってきた記事のことは、つまりそういうことです。じゃあ、さようなら。

 *記録提供者富良より追記。上記の会話記録中の「アードリアン・レーヴァーキューン」とは、20世紀ドイツの作家トーマス・マンの小説『ドクトル・ファウストゥス』の主人公の名前である。主人公は作曲家だが、精神を病んで妄想に陥り、自分はファウスト博士のように悪魔と契約して作曲の力を得たと思い込んでいる。マンはこの主人公の描写にあたり、ニーチェをモデルにしたといわれている。

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会話記録は以上の通りである。

以上



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