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Brian Jones releassed only one album, Nov.1971 |
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| 単なるバカンスで、また数々のスキャンダルから逃れるため、そしてまともな生活に戻る手段として、ブライアンは何度もモロッコを訪れている。市場の脇道でストリート・ミュージシャンが演奏する音楽を熱心に聞いていたらしい。それらの音楽は彼の琴線を刺激したのか、以降ワールド・ミュージックの価値を理解しようと努め、また純粋に学びたいと思うようになる。こうした第3世界の文化や音楽をストーンズに取り入れる提案もしていたのだが、当時の彼の弱い立場(脱退寸前)からも受けいられることはなかった。 1968年、ブライアンはナオウア(スーダンの宗教集団)を録音するためにマラケッシュに向かうが、やがてジュージューカのスーフィ音楽に興味を移す。ジュージューカは交通手段はロバという(当時)、とんでもない山の中にある。同年夏にブライアンはモロッコでレストランを経営し、ジュージューカの音楽にも通じていた画家&作家のブリオン・ジシンと共に、ジュージューカへ向かった。そこで彼らは最上級の歓迎を受ける。こども達は「大きな髪の人間が来た!」と興奮し、村人は晩餐のために羊を一頭犠牲にした。ミュージシャン達は夜通しブージェラウドという聖なる儀式を演じ、ブライアンはそれを懸命に録音した。ブライアンがジュージューカを訪れたのは1度だけである。しかしそのインパクトはブライアンにとっても、村人にとっても強烈な体験だったのだろう。今でも村のこども達は彼の歌を歌うという。「ブラヒム」アラビア語でブライアンという意の歌だ。 このアルバムは彼の死後2年してリリースされた。 20年後の1989年、ストーンズはアルバム「スティール・ホイールズ」にジュジューカのミュージシャンを使った曲を収めている。タンジールに近いカスパで録音した「コンチネンタル・ドリフト」。ミックはストーンズにおけるワールド・ミュージックはブライアンの専売特許ではないと否定しているが、少なからず彼の影がそこにあったに違いない。 ところで、わたしはこのアルバムを夜中に聴くことができない。笛、太鼓、拍子、土着的な単調なリズムと呪文のごとく吐き出される言葉。豊作や幸福を祈願する秘教的な儀式といわれているが、松明に照らされた男たちの顔が浮び、かすかな血の臭いとともに目の前を無数の影が通り過ぎていく気配がするのだ。トランス・ミュージック。勝手な思い入れがそうさせるのだろうけど、こんな音を現地で生で聴いたら...ちょっと怖いだろうな。なにかが変わるかも知れないのだけど。 |