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「人を理解すること」
1991年、中国雲南省の梅里雪山で日中合同登山隊の遭難事故がありました。小林さんは、当時大学生で山岳部に所属していましたが、その山岳部の仲間の何名かがこの登山隊に参加して遭難しました。そこで小林さんは仲間の遺体捜索活動をしに梅里雪山を何度も訪れたのです。この本は小林さんの体験を書いた本です。
私はこの本を最も読んで印象的だったのは、小林さんが梅里雪山を何度も訪れていくにつれて、現地の村人との間に信頼関係が生まれていくところです。なぜ信頼関係ができたかと言うと、小林さんが最後まで遺体捜索活動に参加し、その後遺体捜索に一人だけで来たことで、明永村の村長であるチャシが信用してくれたからです。徐々に、村長以外の村人からも信用されていきます。また他の村の人からも信頼されていきます。このように信頼関係が生まれるのは、相手を理解し、受け入れることができる人だからだと私は思います。
村人にとってカワカブ(=梅里雪山の最高峰)は聖山であり、そのカワカブに日本の登山隊が登ったことを不快に思っていました。小林さんが遺体捜索活動をするのは、最初は行方不明になった仲間たちの遺体や遺品を回収することが目的でした。しかし、村人たちと生活を共にするうち、聖山であるカワカブを汚してしまったことへの償いの意味で遺体捜索活動をするようになったのです。村人たちはそのカワカブの氷河の水を飲料水としていて、その飲み水を遺体が汚しているということに気付いたからです。
また、他の村へ訪れたとき、そこの村人たちからも「カワカブに登ることを決して許さない」と聞いたことや、村人にとって「聖山は親のような存在である」ことなどから、カワカブに対する村人の考え方、気持ちを理解していきました。こうして、小林さんのカワカブに対する気持ちが、仲間の命を奪った「魔の山」から、命の源である「聖山」に変わったのだと思います。
このように小林さんは、村人と話すだけではなく、村に住み、村の人に付き添い他の村に出かけたり、カワカブの巡礼に行ったことで、梅里雪山の付近に住む村人の生活習慣、考え方、食生活を理解していきました。文中に「カワカブに登るということは、山を信じる人々と敵対し、その信念を踏みにじることではないか」と小林さんは書いています。このカワカブに対する気持ちは、現地の村人や、その宗教を信じている人だけがわかることだと思います。現地の人ではない小林さんが、村人たちの聖山に対する考え方が理解できたのは、相手を理解しようとして、受け入れたからだと思います。
私は、友達の考え方と自分の考え方が違うからといって、相手の考え方が間違っているのだと思うことがありました。しかし、相手の生活環境などの違いから、その人の価値観や考え方が生まれるので、いろいろあってもいいのだとわかりました。だから、自分の考え方がすべて正しいとは限らないと思うようになりました。そして「相手の考え方も大切にしないといけない」と思い、相手の見方が変わったことがあります。これは世界共通で、自分の考え方を押しつけるのではなく、まず相手のことを理解することが重要なのだとわかりました。また、小林さんは文中で「言葉は通じなくても、人を思い続けることで伝わるものがあると思った」と書いてあります。私は、相手を理解するためには、言葉が通じるということが大切だと思っていました。ですが、この小林さんの言葉で、言葉は相手のことを理解するための一つの手段であるということに気づきました。だから、言葉だけではなく相手を思う気持ちや、相手への気持ちを態度で表すことが大切だとわかりました。
私は将来、世界で飢餓や、戦争で苦しんでいる人のために働きたいと思います。自分と正反対の考え方を持っている国の人とも付き合えるようになるために、小林さんのように相手を理解し、受け入れられる人になりたいです。
(14歳、女子)
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