
大変報告が遅れたことをお詫び申し上げます。私が老齢のため体調を崩したこと、思いもかけず状況がよくなかったことなどのために報告を出しそびれました。
しかしこれ以上遅らせることはできません。かなりつらい状況ですが、思い切って書かせて頂きます。
イタセンパラについて
前期の報告で国交省淀川河川事務所長あて本種の保護について緊急勧告を出したことは述べました。これに対してなんらの回答もなかったのですが、イタセンパラの生息状況は俄然悪化しました。
大阪府立水生生物センターの調査によると、平成16年7月から9月にかけて淀川下流部の26km145地点で21,500尾の魚を捕獲して調べたところ、最多はブルーギルの4,700尾で22%、オオクチバスが2,800尾で13%、外来魚だけで35%
でした。12年前の調査で47%を占めていたコウライモロコは8%に、オイカワも20%が10%に減少、150尾いたイタセンパラはわずか6尾で、絶滅状態でした。
はっきりしていることは、淀川下流部の魚類生息環境が、淀川大堰稼動開始以来悪化しはじめ、出水による撹乱や底泥の排除もなくなり、ワンド群は沼地化しはじめ、魚類の産卵場、仔稚魚の保育場所としての機能は失われつつあります。くわえて以前には想像もしていなかった外来魚の侵入と増加により、在来魚は著しく圧迫されている現状です。
本年5月のイタセンパラ稚魚の浮上数は城北ワンド群で約500尾だったそうですが、これは本種が絶滅寸前の状況にあることを示しております。その現象の原因としては、稚魚の浮上期にアオミドロが覆ったことと外来種による食害であると言われておりますが、その背後にあるものは、魚類生息環境の著しい悪化でしょう。
しかしながら本種が必ずしも衰退に向かって一直線に減少した訳ではありません。例えば淀川大堰が稼動し始めた1984年には著しく増加し、推定生息数10万4千尾に達して、ワンド生息魚類第4位まで増えましたが、1993年には1970年代と同じくらいに大減少しました。(2005・宮下)。
また城北ワンド群における仔稚魚浮上数は2003年には7,839尾に達し、今までの最高を記録しましたが、再び危険な程の減少に転じています。この場合の増加は河川工事のために水位を下げたことに起因しているようです。(2004・河合)。
要するに減少・増加の波瀾を繰り返しながら、絶滅に向かって進んでいるのです。少し増えると絶滅の危機は去ったという新聞記事が出たりしますが、いかにいい加減なものかが分かるでしょう。
さて当HPでは淀川下流部の本種の生息状況悪化に伴い、緊急保全対策として新しく本種の生息地として楠葉ワンド群の掘削を当時の淀川河川事務所長宮本博司氏と交渉してその承諾を得ました。(平成13年夏)
最終的には5箇所のワンドを掘削することとして、2002年6月上旬に第一ワンド、2003年2月上旬に第二ワンドが完成しました。ところが2003年4月宮本所長が吉田延雄氏と交替されてから、この約束が履行されなくなりました。
なお楠葉ワンド群の掘削に研究者側で衝に当っていたのは紀平肇氏です。紀平氏はイタセンパラの産卵母貝である二枚貝の楠葉ワンド群への投入を淀川環境委員会の反対を押し切って強行されたのですが、絶えず生態学的立場の反対に悩まされ続けてきました。反対意見は例を挙げると、産卵母貝の投入を止めて、その自然流入を待つべきだというのです。しかし危機的状況にあるイタセンパラの再生を目指している以上、人為的手段を抑制する余裕はないと考えるべきでしょう。私共としては楠葉ワンド群にあえてイタセンパラ成魚を投入して、本種の絶滅防止に役立てたいと思います。
さて楠葉ワンド群の掘削に関しては、不愉快な問題も生じました。平成17年3月末に発行された淀川資料館発行「淀の流れ」によると、楠葉ワンド群の掘削が淀川環境委員会のやった仕事となっていて、私共「淡水魚の窓」の関与がすっかり省かれているのです。私はこの点に関して紀平氏にははっきりと抗議しました。
私が言いたいのはこういう事です。
もしわれわれと宮本前所長の交わした約束が守られていて、楠葉ワンド群が5個掘削され、二枚貝も豊富に移植され、加えてイタセンパラ成魚も放流さていたら、本種は楠葉ワンド群で保全され、絶滅の危機は緩和されていたかも知れない。少なくともその可能性はあったと。
ともあれ平成17年上期はアユモドキ問題の関連で忙しくすごしたのですが、8月11日に琵琶湖博物館川那部浩哉館長にお願いして「淀川の希少魚イタセンパラ・アユモドキの情報交換会」を開いて頂きました。この会議には研究者側から9名に加えて淀川河川事務所から環境課長、亀岡市から環境担当者2名計12名が出席しました。
会議は川那部館長の適切な司会で、白熱的な雰囲気で進行し、2時間半にわたって有益な討論が行われました。その結果イタセンパラについては至急に対策を立てる必要があることが認識され、9月中旬までに川那部館長の手許に意見書を提出することになりました。その意見書は9月10日に提出しました。内容の要点は次の通りです。
楠葉ワンド群を5個以上10個程度までいろんな性格のワンドを造成する。二枚貝の移植を継続的に行う。イタセンパラ成魚も適当な時期に放流する。
次に本種の保護された生息地として木津川下流部の再生の方法を考える。
最後に大阪府立水生生物センターの人材と経験を活用して、イタセンパラとアユモドキの人工繁殖活動を行って、両種の保全を行う。
イタセンパラは淀川において、すでに絶滅状態と考えてよいでしょう。まだ絶滅していないという表現は、何年か何十年かにわたって続けることができますが、その言い方は関係者の言い訳として使われることが多いのです。すでに濃尾平野三川においてイタセンパラはいつの間にか姿を消しましたが、そのことについて関係者は知らん顔をしています。絶滅状況になると関係者の多くは逃げ腰になります。人間の真価が分かるのは正にその時です。
私は、自分の力が至らなかったという自戒を込めて「淀川の希少魚イタセンパラ−その絶滅と再生について」という表題で、自分の眼の黒い間に本を出版する予定です。今年から来年にかけての冬に書き上げたいと考えております。
私はイタセンパラの淀川における再発見以来35年にわたって、この魚とかかわってきました。私の寿命はもう長くありませんし、私のこの魚に関する知識は片寄っているかも知れませんが、わたしが最後に書くこの本は、細々ながらも長く読みつがれるものと信じております。
アユモドキについて
前期の報告で当HPの高田昌彦が本種の生息調査より外され、この不当な処置についてわれわれが激しく抗議している状況を述べました。相手方からは何の反応もありませんでしたが、平成17年春に日本生態学会が大阪で開催されて、3月30日にアユモドキ集会がもたれた機会に木村は出席して、本HPで述べたと同じ内容で地元行政の対応を攻撃し、特に生息地における密漁がぜんぜん取り締まられていない実情を鋭く批判しました。生態学会の中での主張としては異質すぎるという批判が強かったようですが、この攻撃はかなりの影響を持ったようでした。
前述した8月11日の会議において、アユモドキ生息地調査の責任者である岩田明久京大助教授は、、本種の産卵に大きな影響を持つ生息地のファブリダムの運用や密漁の取締りに関して最低限の保全体制が整った旨報告し、出席した亀岡市の担当者もその報告を追認しました。
木村は岩田氏と亀岡の行政が責任を持つのであれば、今後の活動は岩田氏に委せたい旨述べましたが、川那部館長は本種の保全に関して、なお若干不安が残る旨を発言しました。
たしかに本種に関しては問題が多いのです。まず産卵場が一ヶ所しかないのがつらいところです。
その他問題としては、JR複線化のため生息地河川の架橋工事が行われること、駅北の水田の中に市道を通す計画があること、生息河川上流に廃棄物処理場ができること、生息河川上流付近にバスとブルーギルが放流された池があることなどです。
川那部館長の発言にありましたが、大学なり行政のやることには限界があるから、やはり外部の力を借りる必要があると思います。私はアユモドキの保護問題で苦労してきた高田昌彦が引き続きかかわるのが望ましいと考えております。
( 平成17年10月5日)