見つけよう、伝えよう、素敵なアジアを。

                                            <アジアン倶楽部通信 1999年12月号>

あじくら 1999.12.




 アンニョンハセヨ?みなさん、お元気ですか。いよいよ年の瀬ですね。私は毎年この時期になると、教室で“ジングルベル”を子ども達と一緒に歌っています。今年もハッピ−クリスマスになるといいですね。


 さてさて、先月から今月にかけて、たくさんアジアの映画を見ましたよ。まずはジャッキ−・チェンの「Who am I?」ですが、いつものアクション満載、こってり味系の楽しい一本でした。最近のジャッキ−の作品は007のように世界中を舞台にしていてジャッキ−も英語で喋っているのですが、今回も南アフリカとオランダでロケをしていました。007と違い、アフリカの現地部族と同じ扮装をして一緒に踊っても嫌味にならないところがジャッキ−らしいところですね。それにしてももう40も半ばだというのに相変わらず高層ビルを駆け降りたり、ヒモでぐるぐる巻き状態のまま建物から飛び降りたり、ライオンに追いかけられて木に駆け登ったりして、あんたホンマいつか死ぬよ、と突っ込みを入れたくなるのもいつものことでした。

 次に見たのは金城武主演の「君といた永遠(とき)」。予想よりずっと素敵なラブスト−リ−でした。前半の高校生時代がちょっと退屈ですが、後半、大人になってからがとてもよかったです。女性監督(女優出身のシルビア・チャン監督。自身も出演している)の作品らしく凝った構成で、きめのこまかい演出がなされていました。映像と音楽もしゃれていて、ラストシ−ンには思わずウルウルしてしまいましたよ。香港の普通の市民の生活ぶりも伺え、そういう意味でも興味深い作品でした。(後半は日本が舞台なんだけど。それにしてもカレン・モクの高校生姿にはびっくり。劇中での意外な告白に二度びっくり) 前から感じていたのだけど、香港映画って不況になってからの方がこの作品のようにクォリティの高い、ていねいに作られた作品が増えていますね。

 以前のようにチ−プなものが大量生産されていた時代は終わって、作家性の強い個性的な作品が多くなりました。だから“香港映画は今が買い”なのです。また、実はこの映画、ジャッキ−・チェンが製作しているのです。意外に思われるかも知れませんが、ジャッキ−・チェンは以前にも「ル−ジュ」という文芸色の強い映画をプロデュ−スしたことがあり、「ル−ジュ」はその年の映画賞を数多く受賞しました。単なるアクション野郎ではなく、心から映画を愛している優秀な映画人というのがジャッキ−の実像です。ですから今月18日から公開される、彼が初めて本格的な恋愛映画に挑戦した「ゴ−ジャス」にも期待できそうですね。

 「核武装発言」の西村前防衛政務次官へのインタビュ−記事を載せた「週刊プレイボ−イ」が、非常に興味深い記事を12.7号に載せています。タイトルは「Jポップスと韓国ポップスは本当に海峡を越えられるのか?」。私としては、今まで自分が考えてきたことと同じようなことを説く在日のジャ−ナリストがとうとう出現したかと、勇気づけられる思いです。「大東亜芸能圏」って以前私が通信で書いた言葉も出てきて、ホントみんな同じようなこと考えるんですね。とにかく、あともう少し、です。大衆文化交流が起爆剤となり、若い層中心に韓日の相互イメ−ジは今後劇的に改善されていくのではないか、そしてその関係が東アジア全体に波及していき、そう遠くない将来に“東アジアの共生”というテ−マが共有されるようになるのではないか……心からそうなることを願って新しいミレニアム(千年紀)を迎えましょう!

 というわけなので“S.E.S.日本大ブレイク大予言”の期限はもう2〜3年延長させてくださいね(笑)。「週プレ」の記事にも出ていた通り、S.E.S.の新曲「T.O.P.」は韓国のヒット曲をそのまま日本語と英語で歌っていて、本当に今のJポップスシ−ンでは突出してかっこいい曲です。ブレイクには至ってないけれどラジオでは一部話題になっているそうで、今の段階ではそれでいいや、と心の広いワタクシでした。あと、個人的に好きな浜田省吾の80年代の名曲「もうひとつの土曜日」を今、韓国国内でポジションというグル−プがカバ−してヒットさせていることが、在日KOREANとしての自分の青春の想い出と現在の韓国の状況とが交差しているように感じられて、なんだか感慨無量の今日この頃です。

 もうひとつだけ。「8月のクリスマス」のビデオがリリ−スされたので、まだ見ていない方はぜひ見てくださいね。ツタヤなどの大きいビデオ店では結構目立つところに置いてますよ。クリスマスの月にふさわしい名作です。


 11月13日に外国人教育研究会主催のベトナム料理教室に行ってきました。メンバ−のZ.Lさんがスタッフをしておられ、私もお手伝いに行ってきたというわけなのです。場所は市民センタ−の一室。講師の先生は、インドシナ難民として18年前に来日された在日ベトナム人の方でした。今回は家庭で手軽に作れるという料理ということでフォ−(ベトナム風うどん)とゴイ・クオン(生春巻)を作ったのですが、本当に簡単においしく作ることができましたよ。ゴイ・クオンの調味量を‘焼肉のたれ’をベ−スにして作るなど、講師の先生の工夫もおもしろかったです。子どもから大人まで幅広い層の参加者が和気あいあいと楽しくお料理することができました。自分でも作ってみたいという人は作り方を実演したビデオを会で販売するそうなので、Z.Lさんに問い合わせてみてください。次回は今月の26日にブラジル料理を作るそうですから、興味のある人はこれもZ.Lさんまでご連絡ください。

 また、12月5日(日)に“子どもマダン”という催しに参加しました。公立小学校に在籍している在日KOREANの子ども達に、同じ民族の仲間と出会わせ、民族文化に触れさせることを主旨とした催しです。私はスタッフとして協力したのですが、この日のために子ども達が練習してきたプチェチュム(扇の舞)やノレ(歌)、プンムルもなかなかがんばっていてよかったです。自分でも民族楽器を演奏したり、民族遊びをしたり、チョゴリを着たりして、初めて参加した子ども達も楽しんでいたようです。メンバ−のQ.Lさんも子ども達のプンムル指導などでがんばっておられました。私は韓国のドラマやミュ−ジックビデオを流したり、雑誌やマンガ本を並べたりして、現代文化もアピ−ルしておきました。それにしてもこの手のイベントに参加するといつもかすかな違和感を感じるのですが、どうやら私は“民族”というものにあまり関心がないようです。現実に今生きている韓国・北朝鮮、アジアの国々の人々の暮らしや想い、流行、社会問題など具体的なことには非常に興味があるし、ネットワ−クを作っていこうと自分なりに努力しているのですが、“民族”というあまりに抽象的なものを持ち出すと、そこで止まってしまうのではないかと少し疑問に感じています。難しいですね。












 

  
<ナグネのひとりごと>

 甘やかされた子ども達A
 





 
 


 前回、現在の日本国が抱える4つの大問題(@破綻寸前の財政状況 A産業構造の変換速度の遅さ B社会的なモラルの減退 C少子高齢化による人口の減少)を指摘し、日本の右派勢力がそれらの問題を戦争、ないしは“演出された戦争”で乗りきろうと考えているようだ、と書きました。それを書いているうちに日本のバカ派、じゃなかった、タカ派の見本のような人物が新聞紙上を賑わしてくれて、ワタクシ的には(ナイスタイミング!)と頭ナデナデしてあげたくなったのでした(笑)。自由党の西村真悟元防衛政務次官のことです。この人物のことは、著書を本屋で立ち読みしたことがあって以前から知っていましたが、まあ、札付きのどうしようもない右翼ですね。さっそく「週刊プレイボ−イ」を買って読みました。きっと、この号の「週プレ」は凄く売れたことでしょうね。自自公や社民党のおじさん、おばさん議員達が普段は手に取ることもないだろう「週プレ」を真剣な表情で読んでいる姿を想像すると、何だか笑えますね。大川豊も一躍有名になって、きっと借金返済のめどがついたことでしょう(笑)。アジアン倶楽部通信にこんなおっさんの発言を掲載するのは実に不本意ですが、この〔甘やかされた子ども達〕では日本の右派連中の発言を取り上げることが不可欠なので、まあ 仕方ないか。


<週刊プレイボ−イ'99.11.2号とその要旨を紹介した10/20の朝日新聞朝刊の記事の紹介>


 西村議員の場合はあまりにストレ−トに発言し過ぎたために墓穴を掘りましたが、内心彼の意見に共感している国会議員は数十名はいるのではないかと、私は思っています。日本が核武装して何が悪い、などと考えている人達は国会議員だけでなく、マスコミ関係者にもたくさんいます。実際、西村議員が辞任した後に右派雑誌で彼を擁護する記事をよく見かけましたよ。では、日本の右派勢力が今まで何を考えてきたのか、そして今何を考えているのか、そこらあたりをしっかり検証してみることにしましょう。超うんざりさせられる作業ですが。

 日本の右派知識人が書き散らかしている本はたくさんありますが、アジアと日本の関係で彼らが抱いている幻想がよく現れている本を一冊選んでみました。長谷川慶太郎と佐藤勝巳の共著「北朝鮮崩壊と日本 〜アジア激変を読む〜」(光文社)という本です。1996年に刊行されて未だに書店で堂々と売られていますから、よく売れているのでしょう。少し前の本だけに、かえって彼らの本音がはっきりと読みとれます。著者の一人、長谷川慶太郎は国際エコノミストという肩書きで多くの本を出している評論家ですが、同じ評論家仲間の佐高信が痛烈に批判している非常にいい加減な評論家です。80年代には株や土地の財テクを勧めてバブルを煽った張本人でありながら、バブル崩壊後も反省のかけらもなく著作活動を続けています。最近はこのような“アジア蔑視本”にも手を出して、相変わらず素人相手に扇情的でいい加減な本を出している人物です。

 もう一人の著者の佐藤勝巳という人物は「現代コリア研究所」というところの所長をしていて、韓国・朝鮮関係の報道でよくコメントを述べているのですが専門家としての公平な態度ではなく、日本の右派勢力の立場に立った言動で知られています。在日KOREANや在日外国人に対しても地方参政権の否定や日本への『帰化』を執拗に勧めるなど、攻撃的な態度が目立っている人物です。ところが、この佐藤勝巳は元々日本共産党の活動家で、昔は金嬉老裁判の支援活動をしたり、在日朝鮮人の「本国帰国運動」に熱心に取り組んだりしていた左翼活動家だったのです。日本の右翼にはこのように左翼から転向してきた人間が多いですね。

 さて、このような二人が書いた本の内容がどんなものなのか、具体的に読んでいきましょう。  


・北朝鮮は日本の過激派と同じ体質の国家だ

・アメリカと中国がもっとも警戒する、国家的麻薬輸出

・麻薬で外貨を稼がねばならない朝鮮人民軍の実情

・韓国国境に臨戦体制を敷く、人民軍の不気味な動き


 見出しでわかるように第1章からいきなり北朝鮮がいかに犯罪的で、物騒で、日本に脅威を与える国家であるかが延々と書かれています。もちろん全てが嘘ではなく、細かいところまで詳しく事実を並べながら、彼らにとって都合のよい情報や全くのデマを随所に混ぜて意図的に配列し、少しずつ読者を誘導していくのがこの手の連中の常套手段です。しかし、彼らの判断は最初の前書きから既に間違っています。


 最近(平成8年3月)になり、やっと北朝鮮崩壊は時間の問題という点が、周辺の一連の国々、すなわち日本、アメリカ、韓国、さらに中国にも共通した判断となってきた。少なくとも実態についてある程度の情報を手にできる人々なら、もはや誰一人として北朝鮮が何年も存続できるとは考えていない。      (長谷川)

 

 この本が出版されて3年半が経過しましたが、北朝鮮は崩壊せず、今後も生き延びる可能性が非常に高くなってきました。日本の右派(だけに限りませんが)が根本的に考え違いをしているのは、キム・ジョンイル総書記は“狂気の独裁者”で、彼が統治している北朝鮮が“狂気の軍事国家”だという認識をしている点にあります。はっきり言っておきますが、私は北朝鮮の現指導層を擁護する気は毛頭ありません。北朝鮮の国民の多くが飢えているのは北自身も認めている事実で、この一点だけでも指導者に責任があるのは当然のことです。国内の反対派を次々に粛清する一方、国民が飢えても責任を取ろうとしないキム・ジョンイル総書記に対しては“最低の独裁者”以外の印象を持ち得ません。現指導層は一刻も早く退陣して、国としては改革開放路線に転換するのが最良の方向だと思っています。現実的にはすぐにはありえないでしょうが。ただし、キム・ジョンイル総書記は“最低の独裁者”であっても、“狂気の独裁者”ではないのです。自分が死なずに、今後も権力を保持できる方法をよく考えていると思います。さらに長谷川は本文中でこんなことを書いています。


 現実には、北朝鮮の崩壊はもはや止められないし、崩壊を促進することだけが東アジアでの冷戦を終結させる唯一の手段だ。

 北朝鮮の国民性からすると、秩序が崩壊し、内ゲバのような事態が多発すると今度はそれを途中でやめることができなくなる。韓国で前大統領、元大統領の罪の追求(1980年に軍が民主化を求める市民を虐殺した光州事件で、その当時の責任者であった全斗煥・盧泰愚両元大統領を、金泳三政権が反乱罪で訴追したことを示す)がおそろしい勢いで進んでいるが、まったく同じように、いったん火がつくと止まらないのだ。


 北朝鮮の体制崩壊と韓国の民主化という全く別の事象を、民族性という観点で同一に論じるあたりに、長谷川の朝鮮民族に対する蔑視感がくっきりと浮かびあがってきています。また、アメリカに対しては次のような態度を期待しています。


 (米軍戦力の)圧倒的な優位性、抑止力を明確な形で北朝鮮の軍首脳に伝えることがもっとも重要なことなのだ。これが朝鮮半島から戦争の危機をなくす唯一の有効な手段である。逆の態度をとることが、戦争誘発の道につながることを強調しておきたい。                                    (佐藤)


 このように日本の右派勢力はアメリカが北朝鮮に対して強硬策をとってくれることを、できればイラクやユ−ゴのように空爆で屈服させることを願っているのです。もちろんそれで北朝鮮の国民が何万人死のうが、韓国がどれほどの被害を受けようが知ったことではない。いや、もっとはっきり本音を言えば、北朝鮮も韓国も二度と立ち直れないほど滅茶苦茶になって欲しいのでしょう。


 北朝鮮の崩壊の衝撃を直接受け止める韓国は、経済的に破綻せざるを得ない。数百万と予想される難民の命を救い、食料を与えるだけでも膨大なコストがかかるのに、日本への要求はスム−ズには通らないだろう。また、荒廃の極に達している北朝鮮の国土、社会資本、インフラを正常な状態に最構築するには、膨大な投資が必要になる。さらに、金日成の農業政策のせいで荒れ放題の国土をどうするか。これも気の遠くなるような投資が待っている。

 基本的には北朝鮮の崩壊は日本に経済的なショックを与えない、というのが私の予測だ。第一に北朝鮮と日本との間には経済的な交流が全くない。第二に韓国経済はダメ−ジを受けるが、そこから日本がダメ−ジを受けることはない、ということである。海の向こうで激変が起きるが、それが日本経済を直撃することはない、ということだ。

 崩壊した北朝鮮を韓国が吸収した統一コリアが生まれると、安価な労働力の反乱により賃金は急降下する。そこで日本企業は、統一コリアの企業と競合するのではなく、下請けに使うだろう。                         (長谷川)


 統一コリアは経済的に衰退することが予想される。荒廃した北朝鮮を引き受けることで韓国経済はたいへんな重荷を背負うからだ。国力が低下し社会秩序は混乱する。朝鮮半島の場合、乱れた人心をまとめ、国論の統一を手段は一つ。「反日」である。つねに国論を「反日」で統一し、日本に対して強硬路線で臨む。統一コリアがこの選択をした場合、それは「第2の北朝鮮」になりかねないということだ。朝鮮海峡は常時、トラブルのタネになる。そうなると、逆に日本は軍備を強化せねばならなくなる。

 北朝鮮が崩壊すると、韓国は2000万人の失業者を抱え込むようになる。これを生産のバネに使うとして、単純労働はいいかもしれないが、とても国際競争力の強化になるとは思えない。韓国企業は世界市場で勝ち抜けない。   (佐藤)


 引用していて、いい加減うんざりしてきました。この二人の隣国民に対するシンパシ−のかけらもない冷淡さ、差別意識がよく露呈していますね。統一後の経済的苦境まで『心配』してくれて、どうもありがとう。それにしても隣国は大激変しても日本は全然ダメ−ジを受けないなんて、どう考えても“都合のいい未来”ですね。予測というよりは、そうあって欲しい未来、ということではないでしょうか。私がこの文章の冒頭で、“日本の右派勢力が抱いてるファンタジ−”という言葉を使用したのは、こういうわけだからなのです。もし、北朝鮮が崩壊したとしても、統一ドイツの先例から韓国は何も学ばない馬鹿な国民の集まりだと、この連中は言っているわけです。韓国が崩壊した北朝鮮をいきなり吸収するわけがないでしょう!現在の東ティモ−ルのように、崩壊後の北朝鮮を国連の暫定統治下におき、数年後に独立させて自力で経済成長ができるように韓国、アメリカ、中国を始めとする各国が支援し、数十年後の統一を目標にゆるやかな連邦制をとる……そういうシナリオを立てて実現の可能性を研究するほどの知恵もない馬鹿なのでしょう、彼らにとっての韓国人とは。

 さて、ここからが重要なのですが、現実的にはアメリカがどういう態度で北朝鮮に臨むかが、朝鮮半島情勢を考える上で最大のポイントなのです。そして、実は数年前からアメリカは日本の右派勢力の期待とは全く違う態度をとり始めています。ここが彼らには読めていない。いや、最近は少しずつ気付き始めていて、非常に焦っているようです。では、現在のアメリカと北朝鮮の関係について少し書いてみましょう。

 北朝鮮がここ数年近隣諸国に対し挑発的な行動をとっているのは、実のところ、自分達がアメリカの侵攻によって‘消される’という恐怖感が基になっている、と言うと意外に聞こえるでしょうか?実は「94年危機」という言葉があるのですが、94年の5月にクリントン大統領は北朝鮮への開戦準備を実行に移そうとして、第二次朝鮮戦争が始まる寸前まで事態が悪化しました。クリントンはペリ−国防長官やペンタコンのスタッフらに開戦した場合の被害のシュミレ−ションを行わせたのですが、その結果を聞いて開戦を諦めたらしいのです。なぜなら、そのシュミレ−ションの結果とは以下のデ−タであったからです。


・最初の3ケ月で米軍が被る死傷者の数…5万2千人(ベトナム戦争10年間のそれに匹敵する)

・アメリカの戦争費用…610億ドル

・韓国軍の死傷者…49万人(当時の韓国軍の全兵力60万人の約8割)

・韓国の民間人の死者…100万人(死傷者ではなく、死者の数である)


 イラクのような砂漠地帯をピンポイント爆撃するのとは違って、山岳地帯に設けられた無数の地下壕を一つずつ白兵戦で潰していかなければならない。それをやらされるのは韓国軍の兵士だから、韓国軍の死傷者数は米軍のそれの10倍に達するわけです。北朝鮮が休戦ラインの設置した地下壕は米軍の爆撃に十分耐え得ることができ、1万門以上の長距離砲と多連装ロケット砲が格納されていて、そこからだと42Km先のソウル市内とその周囲の戦略拠点は全て射程の範囲内にあります。ソウルを“火の海”にできるというのは決して北朝鮮の大言壮語ではありません。そのような戦争では米軍と韓国軍の損害が大きすぎる、というわけです。そしてもう一つ決定的だったのは、韓国内で稼働中の11基と日本国内で稼働中の52基の……原子力発電所です。稼働中の原発にスピ−ドボ−トに搭載されたロケット砲が打ち込まれたら、あるいは潜入工作員の爆弾テロによって破壊されたらどうなるか、考えるだけでも恐ろしいことです。この原発への攻撃について長谷川はこう書いています。


 たしかに、柏崎には7基の原発があるなど、日本海は原発密集地帯と言える。だが、実は核燃料棒が収容されるプ−ルに、誘導ミサイルや爆弾が打ち込まれても、連鎖反応(核爆発)は起きないのである。

 原発への防衛体制を取る必要があったとしても、それは長期間続くことはないという想定で十分だろう。冷戦が最終局面に入って終わる、その直前の混乱をスム−ズに収拾するために必要なコストと言えよう。

 

 原発にロケット砲が打ち込まれるとどうなるのか、私には判断できる科学知識はないので断定は避けますが、この間の東海村の事故ではバケツで汲み出していた程度のことで臨界直前まで行ったのでしょう?どう考えても信用しかねるのですが。必要なコストというものが結果的に数十万人の死者であった場合、この佐藤という人物はどういう責任をとるのでしょうか?これに関連して、元防衛庁官房長竹岡勝美氏が今年の4月9日の朝日新聞紙上で次のような発言をしています。


 北朝鮮が日本に直接的侵攻を計画しているとは思われない。しかし日本がガイドラインに従って米軍の後方支援をすれば北朝鮮は日本を敵視する。その場合、日本海沿岸にひしめいている原発にミサイルが打ち込まれるのは必定であるが、国会はこのような事態を隠し枝葉末節のことにばかりこだわっている。

 英・国際戦略研究所のチップマン所長は、『北朝鮮は今や日米安保条約に根底から疑問を突きつける能力を持った』と指摘している。これが世界の常識であろう。日本はいたずらに北朝鮮を敵視するのではなく、超党派使節団をピョンヤンに派遣し、国交正常化を含め戦争回避のための外交的努力をなすべきだ。
 
 

 防衛庁の制服組の中にこういう発言をする人がいるとは驚きですが、考えてみると当然のことかもしれない。無責任な政治家が引き起こした戦争で真っ先に死ぬ可能性が高いのは、他ならぬ自分達自衛隊員なのですから。それにしても、最近ではその危険性が日本国内でも認識され始めている原発が、その危険性ゆえに第2次朝鮮戦争の抑止力になっているとは皮肉なことですね。

 当時のキム・ヨンサム大統領は、駐韓米軍の首脳からこのシュミレ−ションの結果を知らされ、愕然としたと後に語っています。それは当然でしょう。韓国軍がほぼ消滅してしまうというのですから。そして実際に戦争が始まった時のことを考えて、アメリカは駐韓米軍の家族8万人を日本に撤退させる準備を始めるのですが、キム・ヨンサム大統領は首都兵団を動員してその撤退を阻止しようとしたらしいです。そういう緊迫した状況の中で、アメリカ元大統領カ−タ−氏の仲介が効を奏して10月にジュネ−ブ朝米基本合意が成立し、戦争は回避されました。既にこの時点でクリントン大統領は北朝鮮との戦争をあきらめたと言ってよいでしょう。長谷川や佐藤のような右派知識人の誘導により(北朝鮮など日本が憲法を改正して本気で攻撃すればいつでも屈服させられる)という気分が日本国内に蔓延していますが、実際にはアメリカですら武力で北朝鮮を叩き潰そうという考えを放棄している。その事実を私達は知るべきです。(攻撃すれば命がけで反撃し、アメリカには重傷を、韓国と日本に対しては致命傷を与えることができる。致命傷を受けた韓国と日本は戦後、無謀な先制攻撃を加えたアメリカに対して強烈な反米感情を持つ可能性が高い) 北朝鮮はそのことを十分に自覚しているし、アメリカも不承不承認めざるを得ない。これが基本的に押さえておかなくてはいけないポイントだと思います。


第2次朝鮮戦争は起こらない(起こせない)。北朝鮮もすぐには崩壊しない。
 

94年のジュネ−ブ朝米基本合意書では、

第2条 双方は政治および経済関係を完全に正常化するために努力する

 第1項 双方はこの合意文が署名された後3ケ月以内に、通信サ−ビスと金融決済に対する制限措置などの解消を含め貿易と投資の障壁を緩和する


という取り決めがなされたのですが、議会で多数派を占める共和党の反対でクリントンが政治決断せず、この約束の履行を4年間もズルズル引き伸ばしてきたために、不信感を持った北朝鮮がテポドンを去年の8月に警告の意味で打ち上げました。アメリカ本土を攻撃できる北朝鮮のミサイル能力をこれ以上無視できなくなり、本腰をあげたアメリカは今年の1月の第3次朝米会談の共同声明で北朝鮮の国家としての存在を認め、政治的にも経済的にも関係を正常化していくことを約束しました。それを受けて半世紀ぶりに北朝鮮に対する経済制裁を一部撤廃し、9月にはペリ−対北朝鮮政策調整官による報告書が議会に提出されました。後はお互いにどれだけ有利な条件で国交正常化を実現するか駆け引きをしているだけのことで、アメリカと北朝鮮との国交正常化はもう時間の問題だと思います。来年の大統領選挙で共和党のブッシュが勝った場合には一時的に後退するかもしれませんが、いずれにせよもう戦争はありえないというのが軍事的・政治的常識です。

 で、ある識者によれば、関係正常化で決着済みの北朝鮮とアメリカが今まで何を話し合ってきたかと言うと、何と北朝鮮と日本の国交正常化の手順について話し合ってきたと言うのです。


 官房長官を退いた野中広務氏が首相の特使としてピョンヤンに派遣されることについてはすでに韓国のマスコミでは既成の事実として報道されており、形としては村山元総理の一行に加わってピョンヤンに赴くのかもしれないが、総理の親書を携えて行き、それを相手方に伝えるのは野中氏だということまで韓国のマスコミは伝えている。      (韓国誌『時事ジャ−ナル』10・14号による) 

 

 もしこれが事実ならば驚くべきことですね。野中氏は11月末に中国を訪問しているのですが、北朝鮮に行く前に中国政府関係者とこの件で話しあったのでしょうか?村山訪朝団は今月の1〜3日まで北朝鮮を訪問しました。その際、本当に野中氏は小渕首相の親書をキム・ジョンイル書記に手渡したのでしょうか?親分アメリカの意向を日本政府が無視するとは確かに思えないし、リアリティのある話だとは思います。楽観はできませんが、もしそうだとすると日朝国交正常化への道程もかすかに見え始めてきたといえるわけですが…。もうしばらく事態の推移をしっかり見守りたいと思います。(そうするとカイドライン法って一体何のためにあるんだ?)

 と、11月中にここまで書いたのですが、書いているうちに現実の情勢の変化に追い越されてしまって慌ててしまいました。急テンポで朝日(あさひ、じゃないよ。ちょうにちです)情勢が進行していて、毎日追っかけるのが大変です。12/11号の「週刊現代」でスク−プされていましたが、野中元官房長官は確かにキム・ジョンイル総書記に小渕首相に親書を手渡したようです。それを受けて国交正常化交渉を再開することが合意されたことは、みなさんご存じの通りです。日本のマスコミでは小渕と野中が国民感情を無視して勝手に進めているだけだ、との論調が目立っていますが、何度も言うようにポイントは既にアメリカが北朝鮮との戦争を放棄していることにあるのです。

 長々と書いてきましたが、長谷川と佐藤のような日本の右派勢力の望む“都合のよい未来”が、こと北朝鮮に関してはどうやら『実現』しそうにない情勢ですね。さて彼らのような日本の右派勢力のことを私は今後“冷戦チルドレン”と呼ぶことにします。本当ならば日本の敗戦時に消滅するはずだった右翼勢力は、冷戦という特殊な状況下でアメリカの庇護によって生き長らえてきました。みなさんは不思議に思ったことはありませんか?日本の右翼は中国や韓国、北朝鮮に対して非常に攻撃的ですが、アメリカに対しては従順であることを。中国人と朝鮮人は抵抗運動は別として日本に直接危害を加えたことはないのに対して、アメリカは原爆を2発も投下し、空襲による無差別爆撃で大量の日本人を殺傷しました。それなのにそのアメリカに対して刃向かわないのは、根本的には自分達がアメリカによって庇護されてきた存在であることを本人達がよく自覚しているからでしょう。

 彼ら“甘やかされた子ども達”にとっての基本的な価値観は、次の3点に集約されると私は思います。それは「対米従属」と「反共」、そして「アジア蔑視」です。共産主義に対抗することを条件にアメリカが生きのびさせてくれ、様々な恩恵を与えてくれたのですから対米従属と反共は当然ですが、戦前は鬼畜米英と呼んでいたアメリカに屈服している屈辱感を内心では抱いているので、そのコンプレックスはアジアに向かい、蔑視・優越感という形でなんとか解消している……彼らの本を読んだり発言を数多く聞く中で、私なりに彼らの精神分析をした結論です。ですからアジア蔑視は対米従属、つまりアメリカコンプレックスという感情と切り離せないセットの構造を持っていると捉えることが必要ではないでしょうか。アメリカにガツンと言いたくても言えない分、アジアの悪口をどんどん言ってうさを晴らす、という訳です。あくまで“冷戦チルドレン”の精神構造ですよ。日本人全体のことを言っているのではないので誤解のないように。うまい具合に中国と北朝鮮は共産主義の看板を掲げてきたので思う存分敵視することができたし、戦後日本は他のアジア諸国を大きく引き離して経済成長を遂げることができてきたので、アジア全体への蔑視感を保持し続けることも可能でした。“冷戦チルドレン”達が抱くこの3点セットこそが、戦後もアジア系在日外国人を苦しめてきた元凶だと私は思います。

 アジア蔑視という言葉に抵抗感を抱く日本人メンバ−の方もいらっしゃるかも知れません。それはちょっと言い過ぎではないか、と。それではここで興味深い資料をご紹介しましょう。“冷戦チルドレン”達がなぜアジア蔑視感情を戦後も保持し続けてきたのか。それが単なる偶然でないことがよく理解できるかと思います。以下は戦後のアメリカの対日講和問題の担当者であり、日米安保条約の立役者でもあったダレス国務長官特別顧問が、冷戦戦略を進める上でアメリカが日本の指導者をどう扱えばよいか言及した言葉です。


「アメリカは日本人が中国人と朝鮮人に抱いている民族的優越感を十分に利用すべきであろう。共産陣営を圧倒している西側自由陣営の一員として、自分達が同等な地位を獲得しうるという自信感を日本人に与えなくてはならない」


 まるでイヌの調教方法みたいですね。ムチで懲らしめた後にはエサをやって手なずける必要がある、と言っているわけです。アメリカはこの言葉の通りに対日政策を実施してきました。代表例が岸信介です。A級戦犯として巣鴨プリズンで服役していた岸は1948年12月に突然釈放されますが、彼が獄中で書いていた日記に次のような言葉が記されています。


「コ−ルド・ワ−という新しい言葉が作られあるが、これがホット・ワ−に発展するとすればその時期如何。たとえ我々は今度の戦争で負けたとは言え、日本民族は東洋第一の素質を持った民族としてすべからく自らの世界的使命の何たるかを把握せねばならぬ。これに対する識見と抱負と、そして勇気と決断力を兼備した指導者の出現が必要ではないか」

 

 おそらく獄中で既にアメリカ側と接触があったのでしょう。アメリカによって戦争犯罪を免除された岸は9年後の1957年に日本国首相として、国務長官になったダレスやアイゼンハワ−大統領と会談し、共同宣言を発表します。国際共産主義の脅威が強調され、「日米新時代」が始まったと宣言するこの会談から3年の後の1960年、岸は日米新安保条約を強行採決して日本の対米従属を最終的に完成させたのでした。それと対称的に、在日KOREANや在日中国人は日本国籍を剥奪されて選挙権・公務員就労権などの基本的人権を奪われ、戦後長い間国民年金や国民保険、住宅金融公庫への加入を認められず、民族団体や民族学校には弾圧を加えられるという受難の歴史を戦後も歩まねばならなかったのです。

 問題は、冷戦が終結し、世界情勢が大きく変化している現在においても“冷戦チルドレン”達がこの3点セットに必死でしがみついてる点にあります。彼らにとって冷戦は永遠に続いてもらわなければならないのです。冷戦がアジアにおいても終結するということは自分達の既得権益を失うことを意味するからです。彼らはまだ日本において大きな勢力を有していますから、現在マスコミを通じてこの3点セットを補強することに懸命です。この「北朝鮮崩壊と日本」のような本はその典型と言っていいでしょう。アジア関係の本にはこのようにある一定の政治的な意図を持って書かれた本がたくさんあり、多くのフェイク(嘘)で満ちています。(もちろんちゃんとした本の方が多いのですが、そういう本よりは彼らの出す本の方がよく売れるのです) ですから、書いてあることをそのまま信じて読むのは危険な場合が多いです。著者がどういう立場の人間で、公平な視点を持っているかどうかよく判断してから読んでくださいね。

 さて、“冷戦チルドレン”達は、アジアでは永遠に冷戦が続くという幻想を今後も日本人の脳にインプットし続けなくてはなりません。そのために『使える』国は日本周辺ではたった2国だけになってしまいました。その一国は北朝鮮であり、もう一つは言うまでもなく中国です。中国を“敵”と見なすことは北朝鮮より遥かに絶望的な状況になってきているのですが、彼らは敢えてその『困難さ』に挑戦しています。ということで次回は、中国について彼らが言っているフェイクを検証したいと思っています。まさに『トンデモ本』の世界で、かなり笑えますよ。


(ハ〜、やっと終わった…)







*思いつきで韓国の雑誌記事の翻訳をしてみました。私の韓国語のレベルで雑誌の翻訳をするのははっきり言って無謀なのですが、まあ、そのつもりでお読みください。1本目は韓国の大学で伝統芸能サ−クルをしている学生達のヨ−ロッパ旅行記で、2本目は朝鮮戦争時代の米軍による韓国人避難民の虐殺事件に関するものです。


                   
          
  クルトギ(切り株)

 5人の大学生がヨ−ロッパ5ケ国を巡って15回にわたったプンムルの公演を終えて帰国した。カン・ジェスさん、キム・ミンジュンさん、キム・サンミンさん、パク・チョルミンさん、ファン・イソンさん達が、その冒険旅行の主人公である。全員、麗水(ヨス)大学タルチュム(仮面劇)同好会「クルトギ」のメンバ−だ。気合を入れてプンムルを演奏すると、数百名の外国人たちが聴き入って歓声をあげ、観客が投げてくれたおひねりの額も“上々だった”「クルトギ」メンバ−達の45日間のヨ−ロッパ旅行の話である。

 エッフェル塔の下で鳴り響く金属音、ケンガリやプッの音。麗水大学プンムルクラブ「クルトギ」のメンバ−達が45日もの間ヨ−ロッパを巡って、素晴らしいプンムル、そしてタルチュムまでも披露して帰ってきた。メンバ−は全員で5名。しかし実際に公演に参加した人々の数は、いつもそれよりずっとたくさんだった。公演を始めるために太極旗と2002年ワールドカップの宣伝用の垂れ幕を設置していると、現地の留学生や市民、観光客などの韓国人達が一人、二人と集まり出した。そしてついには何百名もの人達が集まってきて、太極旗と垂れ幕を掲げることができない状況になってしまい、公演の初めから終わりまで自分達で直接持って演奏したこともあった。また、プンムルの心得のある現地の留学生達と出会って、一緒に演奏することもあった。プンムルの音を聞いて驚きの表情を浮かべた韓国人、初めて聞いた楽器の音がとても珍しいらしく、首を振りながら拍子を合わせる外国人達。英国を皮切りにドイツ、スイス、そしてフランスを巡って15回の公演を行う間、このようなやりとりが続いた。

 クルトギのメンバ−、クァン・ジェス(28才・テピョンソ)、キム・ミンジュン(25才・プッ)、キム・サンミン(22才・チン、ソゴ)、パク・チョルミン(サンスェ)、ファン・ウィソン(25才・チャンゴ)さん達が、ヨ−ロッパ一周プンムル公演旅行を企画したのは昨年の11月。「我が国の文化を世界に知らしめよう」という立派な動機から始めた。この計画を実現するためにやらなければならなかった第一の課題は旅行費用の工面。このためにパク・チョルミンさんは1学期の間、鶏の配達のアルバイトをしなければならなかったし、ファン・ウィソンさんはコンピュ−タ−を購入するために2年間貯めた貯金をはたかねばならなかった。

 これとともに学校の休みを利用して2週間“プンムル専修館”に通い、サンモの回し方も習った。人に自慢できるだけのプンムルの実力を見につけるために、毎日必ず部室に集まって練習を続けた。費用を工面するための努力で各自のスケジュ−ルにゆとりがなかったので、集合時間はいつも夜の12時。深夜2〜3時になってやっと練習を終える。そのため授業中にはいつも居眠りしてしまう毎日だった。

 7ケ月間の準備を終えて、昨年の7月5日、クルトギのメンバ−達が金浦空港を出発する時に、見送りの仲間達は「なんとか生きて帰ってこいよ」とはなむけの言葉を送った。ヨ−ロッパ7ケ国での公演を計画しながら一人当りたったの200万ウォン、つまり現地での交通費だけしか持って行かない彼らが、むこうで飢え死にしないように祈りながら。

 最初の行き先はイギリスのロンドン。外国人達がプンムルの音を聞いた時にどんな反応を見せるか、不安と期待が半々だった。しかし実際に演奏が始まると、集まってきた韓国人の留学生や旅行客達が輪になって座り、また外国人達も拍手をして歓声をあげてくれた。公演が終わる時には、人々がおひねりでくれた小銭で太鼓を入れるケ−スが山盛りになる程だった。数枚のお札まで混じっていた。

 このように公演の収入は上々だったが、だからと言ってお金を余裕を持って使えるような状況ではなかった。まだ、旅行の日程がたくさん残っていたからだ。そのため一週間に3〜4日は道端で寝袋にくるまり、寄り添って寝なければならなかったし、また、毎食をパンだけで済まさねばならなかった。お腹が減り過ぎて気分が悪くなった時に作って食べるインスタントラ−メンが最高の御馳走だった。それでもたいして不便は感じなかった。宿泊など雨風だけしのげればよかったし、食事だって飢えさえしなければ幸せだ、と思うようなタフな彼らだったから。

 イギリス韓国人会の協力で“韓国戦争(朝鮮戦争)参戦勇士再会パ−ティ”、“在ヨ−ロッパ韓国人体育大会”など、様々な行事に招待されたりもした。この時、“入養児(海外の夫婦に養子としてひきとられた韓国人の子ども)”や、現地の韓国人留学生達との多くの出会いを経験した。そのおかげで学校の教室などの寝場所も確保できたし、ヨ−ロッパの肉料理も食べることができた。

 しかし、全ての公演が順調だったわけではない。イギリス、ドイツを経た後、オランダのアムステルダムで行った彼らの10回目の公演時のことだ。演奏が盛り上がってきた頃に、今までいなかった警察が現れて演奏を中断することを要求した。少しだけ時間を欲しい、と頼むクルトギのメンバ−達と警察とのちょっとした押し問答が続いた時、突然、観光客たちの歓声と拍手が湧き起こった。そして警察に対するブ−イングが起こり、あげくの果てには警察に抗議しようと、酔っぱらった現地人までもが登場してくる始末。おかげで警察は公演を続行することに暗黙の了解を与えて、立ち去った。この日の演奏の出来は?もちろん、“very good”だった。

 スイスでの公演を終えるとすぐにフランスへ直行した。元々の計画通りだとイタリアとオ−ストリアに立ち寄らなければならないのだが、旅行中にいろいろな韓国人関係のイベントに参加したために予定が遅れてしまったのだ。後はもう、パリのエッフエル塔の下での最後の公演を残すのみとなった。しかしエッフェル塔の下での公演は簡単ではなかった。警察官が始終警護に立っていて、公演の話をしたけれども許可されなかったのだ。2、3日続いて頼みこんだが、同じことだった。しかし、8月15日に偶然、PC通信(韓国の企業)が主催する旅行イベントでエッフェル塔に来た韓国人観光客達と出会うことができた。そのイベントが終わると、彼らは太極旗を掲げて公演を一周し、散らばった人々を呼び集めた。そして、数百名の韓国人達がぐるりと輪になって囲んで座るその真ん中で、いきなり演奏を始めたのだ。鳴り響くプンムルの音に外国人達も目を見開き、興味をそそられた様子で観覧し始めた。演奏を許可しなかった警察も最後まで姿を見せなかった。演奏の合間合間に「2002年のワ−ルドカップの時に韓国で会いましょう」と呼びかけることも忘れなかった。

 「演奏をする時、前の方にずらりと座っていたのは大部分韓国人でした。祖国のはるか遠くの土地なのにプンムルの音を聞くと、駆け寄って来るんです。これは僕らにとってまさに理想そのものでしたよ。韓国で時々学校を抜け出して市内で演奏を見せた時には、顔をしかめ耳を塞いで通り過ぎる人々がほとんどでしたからね」

 ワ−ルドカップの宣伝をするために関連機関に協力を頼んだが、全く協力を得られなかったことが少し残念だった、とはファン・ウィソンさんの言葉だ。45日間の日程を終えて帰国した時、仲間達が心配していたのとは違って、彼らには100万ウォンもの旅行費用が残っていた。食べるものも食べずに節約した結果というよりは、公演での観客との触れ合いがそれだけよいものであったということだろう。

 帰国した後も、この45日間の旅行の記憶が強すぎて、なかなか元の生活のリズムが取り戻せなかった彼ら。しかし決定的に「ああ、ここは韓国なんだな」と実感したのはいつだったかって?それは肥満気味のカン・ジェスさんの大きなお腹が、旅行中にどんどんへっこんでいったのに、いつの間にかまた膨らんでしまった時だって。




    
              
ノグンリの遺産

                        パク・ヨンベ(韓国統一問題研究所所長)

 忠清北道ヨンドン郡ファンガン面(ミョン/郡の下の行政区画)ノグンリのサングル橋。英語では“No Gun Ri Bridge”と表記される。1950年7月26日〜29日に、この橋の周辺で繰り広げられた戦闘が49年の歳月を経て、虐殺か事故かとの問いを投げかけている。

 この歴史的事件に係わった米軍第1機甲師団の第7機甲連隊第2大隊のアメリカ人の元将兵達はこの“忘れられない戦争”を今、思い出させられている。この橋に近くで住んでいた韓国民にとっては、この場所は謝罪と賠償を巡る歴史的な現場である。また、この場所はアメリカが韓国戦争(朝鮮戦争)に参戦して、韓国という自由民主主義の要所を擁立した一方で、韓国民を劣等民族としてとり扱った、“二つの顔を持つアメリカ”を見せつけた歴史的事件の現場である。

 この事件のきっかけを作ったのは1950年6月25日、南韓(韓国のこと)を攻撃した北韓(北朝鮮のこと)である。対日陸戦史研究会が編纂した「韓国戦争」第1巻<38度線初期戦闘と遅延作戦>には開戦後、5週間を迎えたこの時点のテジョン−ヨンドン−ファンガンの戦闘状況が詳細に記録されている。北韓第3師団(師団長/イ・ヨンホ少将)は7月22日にテジョンを出発し、ヨンドン方面に向けて前進した。この日台風のためにポハンに遅れて上陸した米軍第1機甲師団第7連隊(連隊長/セシル・ニストゥ大佐)は23日にファンガンに連隊本部を設置した。問題のノグンリには、第2大隊H中隊がサングルトンネルの両側に広がる約200mの幅の丘に陣をしいた。

 「韓国戦争」第1巻には以下のように記されている。“26日の明け方頃、先に数百名に及ぶ韓国人避難民達が横隊に並んで前進してきた。この後方には北韓軍の戦車4台と若干の歩兵がついてきていた。避難民達が陣地に接近した時、突然地雷が爆発してその周囲の人々が逃げ始めた。そうすると北韓軍の戦車と歩兵が容赦なく避難民達を射殺し始めた。”……避難民達は北韓軍の“地雷よけ”であって(地雷よけとして先に避難民達が歩かされているということ)、また避難民の中には北韓ゲリラが潜んでいるという噂が『奇妙な蒸し暑い国、韓国』に来た実戦経験のない米軍の新兵達の間に広まっていた。

 そんな時に、第7連隊第2大隊H中隊の30口径機関銃の射撃手エドワ−ド・テイリ−上等兵は、仲間の兵士から「橋の下にいる白服を着た連中を撃て」という命令を受けた。「女や子供も撃つのか?」「もちろんだ。全員を撃て。生存者は無しだ」 その兵士は大隊長から命令を受けていた。これより前、この避難民達はトンネル内に入る前に鉄道沿いを南方に向かって進んでいたが、100余名が空襲で死亡し、生き残った人々は鉄道の下の陸橋に閉じ込められていた。テイリ−上等兵は陸橋の中にいた白衣を着た韓国人避難民達を見つけ、機関銃で撃った。

 テイリ−上等兵は、「黄色いスカ−フ」連隊の志願兵だった。彼は中尉として韓国戦争に従軍し、80年代にこの“悪夢の橋”の話を第7騎兵連隊史に記録しようとした。しかし、年老いたかつての戦友達は「もう忘れるんだ」と言ってやめさせた。テイリ−は次のように語っている。「今までの人生で、この悪夢のような出来事は心の奥深くにしまいこんで生きてきた。しかし年をとると、少しずつこの事件のことをよく思い出すようになった。私も68才になった。もうこの事件のことを人に話してもいいだろう」 彼の戦友だったノ−マン・ティンクロ−はこう語っている。「これは良心の問題なんだ。アメリカ政府はいつかは兵士達のこれらの行為に対し、賠償をしなければならない。けれども関係者達は事実を隠ぺいしている」

 しかし、当時この現場の近くにいたウィリアム・カルプ中尉は違う意見を持っている。「戦争においては、こんな話はどこにでもあったことだ。こんなことは第2次対戦中、バルジ作戦でもあった。私の意見としてはこの事件にはとりたてて深い意味などない」 匿名希望の一人の元参戦兵は付け加えた。「法律家達には戦争を理解することはできない。戦場では理解できないようなことが起き、実行される。決定を下すのは個人であって国家ではない」と。

 しかし当時25才の母パク・スニョンさんは7月27日陸橋の中で5才の息子が食べる物が欲しいとむずがり、外に出た。丘の上にいた米軍は二人の母子に銃弾を浴びせた。彼女は「私達は悪い人間じゃない。共産党じゃない」と叫んだが、彼女は肩を撃たれ、子供は胸を撃たれて死亡した。気絶した彼女に二人の米兵が駆け寄った。子供は埋葬され、彼女は救護車に乗せられ南まで運ばれ病院で治療を施された。「私はこの日、アメリカの二つの顔を見ました」と、49年前を振り返って彼女はこう語っている。

 アメリカの著名な軍史研究家であるステファン・エンブロンス博士(「D−day」「市民軍人」の著者)は次のように分析している。「訓練不足の兵士達にいきなり銃を与えて外国での戦争に従軍させれば、このような不幸な出来事が起きるのは当然のことだ」

 「韓国戦争の起源」の著者であるブル−ス・カミングス/シカゴ大学教授はこう結論づけた。「韓国人の犠牲者達の遺族が望んでいる通りに真実を明らかにするならば、両国は和解に達することができるだろう。徹底的な真相究明の努力が望まれる」

 
























    

      
 「008皇帝ミッション」

1996年 香港
監督:ゴッ・タックチェ
出演:チャウ・シンチ− カリ−ナ・ラウ カルメン・リ−
 
 香港のコメディ王チャウ・シンチー主演の時代劇コメディです。チャウ・シンチー、いいですねえ。私、大好きです。すかした顔しておバカなギャグを次から次へと繰り出し、いつも大笑いさせてくれます。007をパロったタイトルロ−ルからして、もうクスクス笑ってしまう。

 今回の役は皇帝直属の秘密警護人。でもこの密偵、全然役に立たない落ちこぼれで、ヒマさえあれば妙な発明ばかりしている変な奴なのです。で、この珍発明が笑わせてくれます。手回しヘリコプタ−やら、ちりとりスリッパやら、経口銃等々。ねずみが動力源の夜の生活用腰上下運動お助け機(ギア付き)には爆笑しましたよ。恋女房役のカリ−ナ・ラウが意外にコメディに似合っていて、かわいらしいです。

 で、ひょんなことからこの珍発明が役に立って皇帝を敵国の暗殺者から救い、晴れて信頼回復を勝ち取ったのはいいのですが、今度は復讐に燃える敵の標的にされてしまいます。女テロリストに扮したカルメン・リ−がケバくて、これもいいのですよ。最後はなぜか香港アカデミ−賞の実況中継のパロディをしながら、敵と戦うという楽屋オチ的な展開に思わずニヤリ。

 香港では毎年の旧正月にチャウ・シンチ−のコメディを見て新年を迎えるのが定番になっているようですが、それもよく分かります。お正月ぐらい嫌なことは全部忘れてハッピ−な気分で過ごしたいですものね。ぜひ年内にビデオを借りておいて、来年のお正月に見てください。つまんない正月番組よりは確実に大笑いできますよ。

















    

     
 「Christmas in Asia」


 どこにも売っていないですよ、このアルバムは。それもそのはず、私が持っているCDの中からクリスマスソングだけを集めて編集した、世界で唯一の作品だから。このCDを聴いてはクリスマス気分に浸っている今日この頃なのです。

@Winter Light (シン・シャオチ−/台湾)
AHope (H.O.T./韓国)
BChristmas Chrismas (Bijou/韓国)
CI’ll be coming home this christma
 s time (マリベス/フィリピン)
DHappy Christmas (イ・ソラ/韓国)
ESnow、X−mas (S.E.S./韓国)
FFeliz Navidad (JUJU CLUB/韓国)
GJoyful Joyful (パク・チユン/韓国)





 今号の“ひとりごと”を書く際に多くの資料に目を通しましたが、今まで隠されてきた“真実”を探そうとしているような気がして、いつになく力が入ってしまいましたよ。まるで映画「マトリックス」の主人公ネオが自分を取り巻く世界全体から「なぜ、気づかない?」と問いかけられているかのように。特に私にとって衝撃的だったのがダレス米国務長官の「アメリカは日本人が朝鮮人と中国人に抱いている優越感を利用すべきである」という言葉でした。アメリカがここまで明確に政治的意図を持って、日本人のアジア蔑視感情を煽っていたとは…。真実は時にとても苦いものですね。しかし、時は確実に移ろっていきます。ダレスも岸もとっくの昔に死に、冷戦は終結してアジアや世界の情勢も大きく変化しました。そして今、世界は新しい千年紀を迎えようとしています。みなさんにとって、そしてアジアと世界にとって来年が良い年となることをお祈りしています。それでは、アンニョン!

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