<アジアン倶楽部通信 1998年11月号>

あじくら 1998.11.





 チャオ オン!(Chao ong。今回はベトナム語で) みなさん、お元気ですか?めっきり秋めいてきましたね。私は先月号でもお伝えした通りKOREAの民話劇を文化祭で上演すべく、何かと忙しく過ごしています。結構大変だけど、やっているといろいろな反応があっておもしろいですよ。民族性よりも子ども達のノリを優先しているので、チャンゴやケンガリ、チン、プクなどの民族楽器で演奏する場面でチャンゴを縦にして叩いたり(ケンガリは叩く力が弱くても大きな音がでるので好評です)、なぜか汽車ポッポに乗ってしまったり(昔の朝鮮朝に汽車なんてあるのか!)、極めつけは「あんたがたどこさ」を歌ってしまったり(朝鮮半島に肥後や熊本があるのか!)等かなり無茶苦茶なのですが、ほとんどの子ども達にチョゴリを着せたり、プロローグで韓国映画「風の丘を越えて(西便制)」のテ−マ曲をBGMに使用したり、トケビ(お化け)の登場場面ではチャンスン(道祖神みたいなもの)を作って雰囲気を出したり、結婚式の場面では大礼庁(テレチョン)を再現してみたりと(屏風や白磁の壷等のアイテムが手に入らず、あくまでそれ風ですが)、見る人が見れば随所にこだわりの伺える(笑)劇になりました。

 でも最大の収穫は、在日KOREANの保護者のお母さん達がKOREAの劇をするということをとても喜んでくれたり、子ども達や先生達、日本人のお母さん達が民族文化に触れて楽しんでくれたりしたことです。こんな風に文化を介在させることで自然にコミュニケーションが持てるんだな、とあらためて民族文化の持つ力に気付かされました。って、なんだか運動家みたいな文章を書いてしまったよ(照)。







 

 
ナグネのひとりごと

    「金城武」

 


 
 


 金城武をウォッチングしていると、今の日本の一面が鮮明に見えてきて興味がつきない。人気が出たのは結構なのだが、メジャーになるにつれ彼のイメージが微妙に変わってきているように思う。「日本」という特殊なプリズムを通すことによって、彼の像が変形してきたとでも言えばよいか。ウォン・カーウァイの映画で一部の日本人に知られるようになった頃はボーダレス・アジアを象徴するような、どこにも属さない自由な雰囲気が魅力のスターであったはずなのだが(クリストファー・ドイルの手持ちカメラが表現する浮遊感と彼のフワフワした個性がよくマッチしていた)、日本で製作された映画やドラマではどこにも居場所のない孤独感を抱えた「ハーフ」や元帰国子女として描かれ、彼の個性が180度裏返しのネガティブな形で表現されている。それがミステリアスな雰囲気を醸し出し現在の人気に結びついているのだが、そろそろ難しいところに来ているのではないだろうか。それは彼自身の生い立ちが微妙な位置にあるところも影響しているだろう。                                            

 台湾育ちのアジアンスターだが国籍は日本。父親は沖縄の人でメインストリームの「日本人」ではなく(もちろん差別的な意図はないので誤解の無きように)、「国際人」を意識して育てられたからか、彼自身も特に日本に対して強い帰属意識を持っていない。まるで日本とアジアの中間に存在しているかのようだ。(アジア系在日外国人と同様に) このまま彼が日本に「取り込ま」れ、類型的なハーフ像を押しつけられるまま演じていくのか、それとも日本とは程々の距離を保ちつつ国際スターとしてのポジションを堅持していくかは本人の自覚次第だろう。(連ドラにはもう出ないで、映画やCM程度に露出を限定した方がいいと思うが) マジョリティの日本人のアジアに対する意識がどこまで変化しているのかを試すリトマス試験紙の役割を、今現在の彼が果たしているとも言える。

 日本人は今まで、憧れの対象としてのアジア系スターを受け入れてきただろうか。まず在日KOREANだが、これは言うまでもなくKOREANとしての側面はすっぽり抜け落ちている。和田アキ子を始めとして本当は一大勢力を形勢しているはずなのだが、本名を名のっている芸能人はごく少数であり、結束もしていないので、彼等をアジア系スターとして意識する日本人はほとんどいない。KOREA系としてはむしろ演歌の分野でキム・ヨンジャやケイ・ウンスクらニューカマーの芸能人が一定のポジションを築いているが、いかんせん演歌はもはや日本ではあまり勢いのある分野ではなくなっている。                                   

 次に思いつくのがアグネス・チャンや故テレサ・テン、最近ではビビアン・スーらの中華系のスターだ。彼女達は自身のルーツがマイナス要因とならずスターたりえてきたので在日アジア系スターと呼べるが、母国語でのヒット曲はなく、全員若くてかわいい女性であることが人気の第一要因であった。(テレサは年をとっても人気があったが、日本デビューした頃は若くてぽっちゃりしたかわい子ちゃん歌手だった) 今、彼女達と書いたが、この系統のスターに男性がいないことに気付いただろうか。要するに今までの在日アジア系女性スターは、日本人男性の「ペット」としての位置に甘んずることでしか日本の芸能界では存在できなかったと言える。それは今も続くアジアへ買春ツア−に出かける一部の日本人男性の視点に限りなく近いとは言えないだろうか?(そういえば少し前、ビビアン・スーが台湾時代に出演していたポルノ映画のヌードを一早く掲載したのは「週刊現代」というおじさんが読む週刊誌だった) そういう意味で金城武が男性スターであるのは画期的なことである。

 在日のアジア系スターについて言及したが、在日でないアジア系スターについてはブルース・リーとジャッキ−・チェン位しか思いつかないのだが、他に誰かいただろうか?でも、この人達もかなり特殊なスターだし、もっと普通の男性スターはいないのかと思っていたところに、レスリー・チャンやアンディ・ラウを支持する熱狂的な香港電影迷のお姉さん達が出現し始め、やっと日本も少しずつ変わってきたのかなと感じている。大衆芸能は間違いなくその国の大衆の意識を反映する。だから多分、金城武は、アジアへの精神的な“鎖国”が解け始めたばかりの現在の日本が受け入れられる過渡期のスターなのだろう。日本人の多くがアジアの人々を同時代を生きる等身大の対等の存在として感じ始めた、と私が勝手に判断する最終的なラインは、在日でないアジア国籍の歌手が日本のTVの民放の歌番組かバラエティにアジアのスターとしての肩書きで出演し、母国語で歌を歌った瞬間である。それは少なくとも東アジアの国々では何も特別なことではないのだ。                                        

 香港スターのアンディ・ラウが韓国の若者向けバラエティ番組で広東語で歌ったり、台湾の芸能情報番組で韓国のダンスデュオCLONの台北ライブの様子がリポートされたりするのを私は毎日パーフェクTVで見ている。(ちなみに最近香港歌手はMTVのロケ先に日本を選ぶことが増えた。それでベイブリッジとか関空のような日本人が撮って欲しいと思うお洒落なスポットでロケをするかと思えば、何の変哲もない駅のプラットフォームや、路上、民家の縁側なんかで撮影しているからおもしろい。香港ドルはUSドルと連動しているから円安の現在、日本は香港の人達にとって安上がりに適度なエキゾチズムを演出することのできる場所ということらしい) その輪の中に日本が仲間入りすればよいだけだ。香港の四天王が、韓国のH.O.T.が、日本のTVに生出演する“Xデ−”を待ちわびる今日この頃である。ところで金曜日の「ぐるぐるナインティナイン」のエンディングに韓国のS.E.Sの「巡り会う世界」が流れているって誰か知ってた?

 






















    

         
「食  神」
1996香港
監督:チャウ・シンチー リー・リクチー
出演:チャウ・シンチー  カレン・モク  ン・マンタッ

 香港ではジャッキー・チェンと並ぶ大スター、チャウ・シンチー主演のかなりハチャメチャなコメディです。この人の持味はクールな顔してバカをするアンバランスなおかしさ。かなり屈折した性格のようで、映画の方もひねったジョークが満載でとにかく笑えます。   

 内容は成功のあまり傲慢な性格になった料理人が側近の裏切りにあって全てを失うが、よき仲間を得て再起を果たすというもの。いいんです、ストーリーなんか。(料理の鉄人+美味しんぼ+ミスター味っ子)×中華一番と言えば、分かるかな?(分かるわけないか ) なつかしや村下孝蔵の「初恋」も劇中歌として流れてくるし、こんなふうにしっかり日本の現代文化を受け入れながら、新たな商売のネタにするところに香港人のしたたかさを感じるのですが。(韓国人も見習え!)                             

 敵の刺客から逃れて中国大陸に渡った主人公が修行するのが、なぜか少林寺。拳法と共に料理の腕を磨いた主人公が香港に帰って、次から次に繰り出す料理技が変なのばっかりで、大笑いです。また、実生活でも恋人のカレン・モクが凄いブスメイクで登場するので唖然とします。未確認情報なのですが「マスク」のジム・キャリー主演、シンチー本人の監督でこの作品がハリウッドでリメイクされるとの噂があるそうです。(ジム・キャリーがシンチーのファンらしい) 実現したら見てみたいですね。それにしても、「爆発!小便団子」が本当にとあるレストランで食べられる香港っていったい…。



    今月はおまけでもう一作品、紹介します! 


















ドラマ

    

      
 「砂時計(モレシゲ)」
1995年 韓国SBS
主演:チェ・ミンス、パク・サンウォン、コ・ヒョンジョン

 3年前に韓国で製作・放映され、単なるブームを超えて一大センセーションを巻き起こした「国民的」TVドラマです。現在の日本ではまず絶対に製作されない種類のドラマと言えるでしょう。なぜなら光州(クァンジュ)事件から全斗煥(チョン・ドゥファン)独裁政権時代に至る韓国現代史の暗部を直視し、時代の流れに翻弄される人々の生き様を極めてリアルに描いた、すぐれて社会的・政治的なドラマであるからです。

 物語は朴正煕(パク・チョンヒ)政権時代の1973年、現金大中大統領の拉致事件の起こった年から語り始められます。光州のとある高校に転校してきたパク・テスはクラスメートのカン・ウソクと親友になります。高校卒業後、テスは亡き父親が共産主義者の智異山パルチザンであったために志望した士官学校に入学できず、やけになってヤクザとなり、ウソクは腐敗した役人の陰謀で町を出ていかざるを得なかった貧しい父親の願いをくみ、検事になるために大学に進学します。二人はソウルで、権力者と癒着して巨万の富を得た富豪の娘ユン・ヘリンと出会います。ヘリンは父親への反発から学生運動に身を投じ、テスは権力のイヌとなって野党の集会を暴力で妨害する日々を送り(テス達ヤクザに襲撃される野党の党名が金泳三前大統領率いる新韓民主党と実名で出てくるのが非常にリアルです)、ウソクは学生運動に心中で共感しながらも一線を画し、夢を実現するために黙々と司法試験の勉強に励みます。
                            
 そして80年5月18日の運命の日、司法試験に失敗して軍隊に入隊したウソクと、弟分に会いに出かけたテスの二人は光州の地で、独裁に抗議する学生と市民のデモに遭遇します。隊列を組んでシュプレヒコールをあげ、民主化と当局に逮捕された金大中氏の釈放を要求するデモ隊。完全武装し、催涙弾と装甲車でデモ隊を威嚇する戒厳軍。両者の小競り合いが臨海点に達した時、遂に悲劇は起こってしまいます。非武装の民衆に発砲する軍隊と逃げまどう人々。多数の死傷者を出して、軍は光州市内を鎮圧します。戒厳軍の一員として苦悩するウソク。軍隊の暴挙に怒り、必死で罪なき人々を救おうとするテス。このあたりの描写は体験した人間にしか表現しえないもので、当時の記録映像と俳優によって演じられた場面とが交錯して写し出され、まさに迫真の描写です。実際に起きた事件であることを思い、私は見ていて涙が止まりませんでした。

 この場面を放映することで全国民が光州事件の真実をブラウン管の前で追体験し、事件に対しての共通のコンセンサスを持つこと…金泳三文民政権下でこのドラマが製作・放映されたのは決して偶然ではなく、制作者側に明確な意図があったことは明らかです。そしてこのドラマが驚異的な視聴率をとったことを考えると、その目的は十分に果たされたと言ってよいでしょう。実際、このドラマが放映されたのと同じ年に、光州事件特別法によって当時の戒厳軍総司令官であった全斗煥元大統領とその後継者の盧泰愚(ノ・テウ)元大統領の両者が逮捕されています。 
                                         
 だからと言って、この作品は単なる政治的プロパガンダなどではなく、<軍部=悪、民衆=善>という単純な図式を否定することで優れた人間ドラマたりえているのです。そのことは三人の主人公達の描かれ方で分かります。社会正義の実現を目指していたはずのウソクが市民に銃口を向け、権力のイヌだったテスは命がけで民衆と共に戦い、ヘリンは警察の拷問に屈して学生運動の仲間を裏切ってしまう。癒すことのできない傷を抱えた主人公達の生き様は同じ時代を生きてきた韓国国民一人一人の共感を呼ぶものであるのに違いありません。物語の後半は、罪亡き人々を殺してしまった苦しみを抱えながら検事の道を歩みだしたウソクと、一度は民衆と共に戦ったものの再び権力の手先となり裏社会で力をつけていくテスの対決、それに父の事業を継いだヘリンが絡んでくるという展開の中で、“法と暴力の対決”というテーマが描かれていきます。そして長い闇を潜り抜けた後に待っていた、矛盾に満ちた悲しい死を描くことで、この長い物語は大団円を迎えます。

 このドラマを見てつくづく感じたのですが、韓国人はトラウマの元である日本と自国とを比べてどこが勝っている、負けていると比較することに敏感になりがちですが、絶対的に誇りに思っていいことが一つあります。それは、民主的な社会を自ら血を流して勝ち取ってきたという事実です。多くの痛みと苦しみを経て実現してきたものだけに大事にしようという気持ちは、棚ぼたに近い形でそれを手にした日本人よりもずっと強いものがあると肌で感じました。今回のような経済危機があっても独裁的な権力を志向する動きは出現せず、比較的冷静に危機を克服することができると楽観視しているのですが。

 このドラマを見終えた今、私はこれから韓国の政治や現代史についてしたり顔で物を言うのはやめよう、と思っています。特に、韓国民衆との連帯がどうとかこうとか、なんていうふざけたセリフは決して口にすまい、と。光州事件の起こった1980年5月頃の自分を振り返ってみると、平凡なSF少年だった私の頭の中はきっと当時流行していたスターウォーズやらエイリアンやらで占められていて、韓国のかの字も存在していなかったはずです。光州事件のことは大学に入って韓国系の学生サークルの人と接触した時に知りましたが、運動をしていなかった私は単にひどい事件だと感じた程度でした。        

 それから20年近くの時間が砂時計の中で流れ落ちていきました。その間、私は韓国に暮らす人々と同じ体験を共有してこなかったのです。それが事実ですし、そのことを特にどうとも思っていませんが、ただ、自分がもしかしたらその地で生まれ育ったかもしれない場所の人々の経験と想いについて知り、できればほんの少しだけでも共感したいと願っています。それが自分のルーツというものに対する私なりの礼儀の示し方だと思って、こういった韓国ドラマを見続けているのですが。まずは知ることから始めよ、ですよね。

  

















    

 
「都是夜帰人」 メイビス・シュー(許美静)

 シンガポール出身で台湾でデビューし、香港でも人気の女性シンガー。アコースティック系の曲を、アンニュイさも感じさせるさらっとした都会的なボーカルで歌っています。ストレス度の高そうな生活を送っている香港人にはヒーリングミュージック的に受け入れられたのかも。アルバム名にもなっているタイトル曲は、都会に一人住む女性の孤独な心情を歌ったもので(と思う…) 夜半、グラスを傾けながら聴いていると結構くるものがある佳曲です。

 

       
「 H.O.T. 3集」

 現在韓国で最高に人気のある男性アイドルグループ。と言うとどうしてもSMAPを思い浮かべるかも知れませんが、似ているところもあるものの実際はかなり違います。それはそのまま日韓のポップミュージックの違いを表していると言えるかも知れません。要するに韓国のSMAPなんだろうな、と思いながらこのアルバムを聴くとびっくりするでしょうね。 

 1曲目を聴いて(前奏は普通の日本のアイドルっぽいな。重低音のリズムが気持ちいい。割とノリがいいな。ん?なんで急にラップが入るの?うまいなぁ。結構個性的だけどまあ、アイドルかな)

 2曲目を聴いて(いきなりハードな出だし。今度はロックか。渋い。げっ、何で急にクライングラップに変わるんだ?凄くうまい。S.E.もかっこいい。げげ、急にメロディが変わった。何、これ?なんで一曲の中でこんなに曲調がコロコロ変わるんだ? と思っていたらまた変わった。信じられない。何かわからないけど凄い)

 3曲を聴いて(これも出だしがえらく凝ってる。かっこいい。2曲目に比べるとメロディがはっきりして聴きやすいけど、ラップとサンプリングが縦横無尽に出てきて凄い渋目のノリだ。いいなぁ)

 4曲目を聴いて(やっとアイドルになった。RB系の甘いバラード)

 5曲を聴いて(これもアイドル調。日本でも受けそうなコマーシャルな曲。でも切れがいい)

 7曲目を聴いて(いい加減驚いたけど、これって完全にギャングスタラップだろ。なぜアイドルがこんなの歌うの?理解不能 だ)… という具合に最後まで続くわけです。                    

 以上実況中継でした。要するにこいつら本気でミュージシャンしてるんだな、ということがすぐにわかると思います。ハードな曲の合間に甘いラブソングも適当に入れて、シュークリームとコチュジャンでピビンバプした極めて独創的な(韓国では普通だけど)スタイルで、しかもこれが日本の人口の3分の1の韓国で100万枚以上売れるというところが凄い。これを毎日聴いているティーンエイジャーが100万人以上いることを考えると、韓国のポップスの将来は空恐ろしいものがあります。でもって、MTVがまた、メチャかっこいい。嘘じゃないよ。嘘だと思うなら見てごらん。現在、少なくとも東アジアでは“最強”の男性アイドルグループだと断言してしまいましょう。






 アジアン倶楽部を始めて半年が過ぎました。分かりにくいこのサークルの目的を一言で言えないかとずっとあれこれ考えてきたのですが、ようやくスローガンを思いつくことができました。それはそのまま私自身の大切なテーマでもあります。大げさな言い方ですが、この一言を思いつくのに33年もかかってしまったなあ、というのが実感です。チャンゴを叩いて本名を名のればそれで満足なのかい?その先はないのかい?ずっと自問自答してきたことに対する答えの一端が見えてきて、今、私は非常にほっとした気分です。たくさん人を集めて‘お山の大将’になりたいわけでも、アジアンアイドルおたくサークルをしたいわけでもないのです。アジアン倶楽部はこういうことを目的にしたサークルです。私はこういうことを大切に思い、願っています。



     
「見つけよう、伝えよう、素敵なアジアを。」



 簡単な言葉ですが例によって思い入れがたっぷりあるので、またの機会にその意味を聞いてやってくださいね。


 

 今回はなんだかKOREA関係の話題が多くなってしまいましたね。「リプレイスメントキラー」や「始皇帝暗殺」を見た人も多いかと思いますので、そんな感想なんかもまた送ってください。それではみなさん、チャオ タム ビェッ!(Cao tambiet)
      

        


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