八丈島のホームページ

 

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上の2枚は八丈島大賀郷の甚田から永郷にはいる、荷浦峠 大きなカーブで冬場、

季節風が吹き荒れる最難関、バスも車もない昔は通行人は吹き飛ばされそうに

なりながら通った、事の他過去の思いの残る峠だ、更にもっと以前(大正時代)は

  この道路も無く もっと険しいこの山の上を超えたと言う。 

 

             甚田が平ら、の上側から下を見下ろした部分と、下側(海側)から見たもの。    

甚田が平らは、1部ですが土地の質がよく 過去多くの入植者が入った、

 南西向きで八丈島では一番日当たりと日照時間が長く、野菜、果物は格

別の美味しさと珍重された。

   

甚田が平ら、の海べりです、地名が解らないので南原と言う人が多いですが

甚田が平らです。八丈島で、いや世界でも有数の景勝地とされて下ります。

本土の入り組んだ海岸沿いの夕日も綺麗ですが、この大海原の海岸に沈む

 夕日は 何ともスケールが大きく外には 例えようもないと称されて下ります。

 かつて 日本画の父、岡倉天心が八丈島の夕日を見つめながら、ここに芸術

の都を築きたい、と言った事は 今に伝えられて下ります。

 

 

     八丈島は梅雨前線の停滞する位置にあり、雨量が多く、屋久島の次くらいに言われ

ます。そのためご覧のように 石垣沿いの植えた草木等でさえも、成長が早く手入

れが大変です放って置けばジャングルになります、雨が多いため草木が何時も綺麗

で 路肩の野草をそのまま食べられます。(甚田が平らのたたずまい) 

 

   甚田が平らの海、かって多くの集落のあったこの地の住民に 貴重な動物蛋白を

 提供し続けた甚田が平らの豊かな海、今でも島民、漁師の生活を支えて下ります。

かってこの地の住民は、泳ぎ釣り(泳ぎながら釣る漁)にでて、2時間で30匹の

 アカハタ(500グラム超)を釣果、と言う豊かな海でした、トコブシ等も豊富。         

 

 

 

大方浦公園付近

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この付近もCCZ計画があった地域、都 市計画道路は整備された、良いことではあるのでしょうが(少し疑問)、やはり昔の風情が失われた。

 

 

 

 

宇喜多秀家公の碑

 

 

 

関が原の戦い 西軍の将、豊臣三大家老の筆頭、

47万石岡山藩城主浮田秀家公の石碑、奥方 前田利家公の娘、豪姫と肩を 並べ 郷里を見つめている。

 

 

 

大方浦海岸

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

@南原海岸より三原によった海岸。

遠浅ながら 厳しい岩場の海岸湧き水がでるのでその影響で海水温が低いとされる海。200億円弱かけ、数年前CCZ計画なるものが予定されていた。 グリンピア、スパザ小田原、に並び称される リゾート開発構想だっが、   

 

 

 

 

 

 

A

時の町長が、自然破壊(自然こそが富) と計画の経済性(採算性) に不安を持 ちこれを中止した。停滞し続ける日本の経済が明らかな今では大英断とされている。    

経済性といえば、2009年世界不況の中で八丈島経済も飛行機の減便等もあり賛嘆たるものです。

その中で30数億円の庁舎と更に文化会館建設、最終処分場、し尿処理場、等々建設ラッシュですが、人口減、高齢化の八丈島で何ゆえでしょう、夕張市を連想させられます。

新たな経済危機発生ですね、地方自治は無い、とまで言われる日本ですが、見習うべき手本は幾つかあるはずですがね、行政を預かる者(為政者)は町民の生命を預かっている事を再認識して欲しいです。

 

野口有情の碑

 

 八丈島を詠った野口有情の詩は多く、 オジャレブシとして数点残っている。

 

 南風だよ皆出てオジャレ 

 迎えぞうりの 紅鼻緒

 

 

 野口有情が、大島の“はぶの湊”を詠 った句は、大島へ行かず想像で読んだ 詩とされており、現地へ行かずあれだ けの詩が出来るのか、情感豊かな詩人 であ ることを 物語っている。

 ちなみに、八丈島へは数回見えた、と の 記録がある。

 

 

 

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